こんにちは。篠野です。
暗い話かもしれません。
それでも頑張れる人は、どうか読んで。
全員に当てはまる話です。
悲しいことがありましたね。
安倍晋三さん。ご冥福をお祈りいたします。
というか遊戯王作者の高橋和希さんも亡くなられたやんね。
渋滞しちゃうよね、心が。
今日は、考えがちょっとだけ巡ってきてしまったので気持ちの整理を兼ねてお話を。
私は、世の中の「悪い」を二種類に分類しています。勿論、どちらも嫌いです。
タイトルにある通りですが、
「悪いこと」と、「気持ち悪いこと」の2種類です。
簡単に言うとさ、今回の殺人だとか、誰かを傷つけるだとか、同調圧力的に人を阻害するとか、何かしらの明示的な悪意ってのは、前者の「悪い」に分類しています。まあ誰がどう見たって悪だからね。人が無下に傷つけられていい理由なんてないんだよ。まあ明示的な悪じゃなくても、悪意すらなくても、無意識下で行っちゃってる悪って絶対あるんだけどさ。まあこの話は今日はしないよ。
でね、今回みたいな、いわゆる予期しない事態が起こった時には特に、「気持ち悪いこと」が「悪いこと」に隠れて散らばってるなぁと感じるんですよ。
じゃあどういうのが「気持ち悪いこと」なの?と言う話なんだけど。
これはあくまでも私の主観なので、そのつもりで。まあ私の考えを書いている時点で主観だけどね。
昨日の銃で襲撃されたという報道の件に倣ってまとめてみる。
「自業自得だ」という人。論外。
それを「こんな時に!悪魔め!」とか責め立てる人も論外。
ああ、あれはなんとかショットガンだ、助からないんじゃない?とか言って達観している気になっている人。専門家?
銃声があって事件現場を我先に撮ろうとする人。あんたマスコミか?
とまあ、この辺りは容易に想像がつくと思うんだけど、
私はもうちょっと「気持ち悪いな」と思うことがあります。
銃撃があった現場にいた人に状況を根掘り葉掘り聞くメディアの人。
まあ仕事だから仕方ないのかもしれないけど気持ち悪いです。
大怪我した瞬間にその人に「今痛かったですか?」って聞きそう。今それどころじゃないって想像もできないんだろうか。想像できても仕事だからやり遂げるのかな。人の道外れてない?
そして、ツイッターで出回ったのを見かけたんだけど、
”ショックな出来事から心を守る方法”みたいな話。(内容見てないけど)
ここぞとばかりに。気持ち悪いです。(内容見てないけど)
確かに、心を守るのは大事だし、見ないものは見なくていいとは思いますし、それは理想だと思いますが、理想だけ見ていても現実は変わりません。いつか目の当たりにするしか、対峙するしかないと思うんですよ。
それに対してさ、「そんなものはないよ〜見ないようにすれば無いのと一緒だよ〜」って思い込ませようとするのって、もはや嘘だと思うんです。いつかは乗り越えたり、これを踏まえて心を切り変えたりしないといけないと思うんだよ。
一旦心を落ち着けたいならそのツイッター閉じろよ。
あとは、ニュース。
被害妄想だとか、考えすぎだとか、言われるかもしれないんだけど。
今後さ、銃撃った犯人の知人が取材されるわけじゃんね。絶対に。
近所とか同じマンションに住んでいた人の話とか。
でさ、多分言うのよ。
「普段から挨拶もする愛想の良い人でした。まさかあんな人が…」とか、
「挨拶しても返事もないしボソボソしてましたね。何を考えてるのかわからないような…」とか、
「小学校の時は普通に公園で遊んだりしていました。友達も居たのに…」とか。
こういったインタビュー、報道に私は言いようのない気持ち悪さを感じます。
どういう意図なんだろう。
多分、世のお母様方が自分の息子とそういう犯人と比較して
「うちの子はこんな人じゃないから大丈夫だ」って安心したいが為にこういう報道があるんじゃないのかなあと思ったりします。
誰だって安心したいのよ。それを求めてるから仕事でやってるだけ。印象操作ってのを忘れないでよ。
あなたが本気で考えた”それ”って、何かの受け売りじゃない?本当に自分で考えた?
まあ確かにインタビューの通りの人柄だったとしてもね、
昔はそんなやつだったから、は、断じて理由にならないと思うんですよ。
確かに人間性を形成する大事な期間中にどーたらこーたらっていう理論はあると思うけどさ。でもそれって一般論だから。こういうのって、人間誰しもが持ってる「例外」だから。
こういった”社会を通じて心がぶっ壊れちゃった人”とか、ごまんといると思うのよ。君ももう壊れてるかもしれないよ。
専門家とか、ちょっと賢い芸人のコメントとかもさ、私的には結局全然的を射てないのよ。
”とんでもないことをしでかしたヤバい奴”相手に客観的に迫害する姿勢しかなくてさ。まあある意味正しいと言えば正しいんだけど、もっと内面に目を向けてほしいと思うのよ。
だから報道って軒並み気持ち悪くてさ。
「こうこうこういう人がいました!気持ち悪いですよね?あなたもそう思いますよね?」という同調圧力が薄ら隠れてるのが、私は心底気持ち悪い。
多分こういうのって、自分で考える力を衰退させるんですよ。だって楽だから。
だから報道から逆張りで汲み取って欲しいことがあって。
要は、「うちの息子は大丈夫」「俺は大丈夫だ」じゃなくて、私も、あなたも、明日何かのきっかけでリミッターが外れて経験したことないくらい激昂してそのまま人を殺めちゃうかもしれない、人を傷つけちゃうかもしれない、ってこと。
人間って、そういう側面を必ず孕んでいるんだぞって自覚すること。これを私は報道を見るたびに再認識するようにしています。というか再認識してしまいます。
だから、「私は大丈夫だ」っていうのは存在しないのよ。
だから今回のニュースで「うわ、なんとなく気に食わなかったから殺すとか、キ*ガイじゃないか」って思った人もいると思うんだけど、
それは違くて。
明日は我が身だと思うべきだと思うんです。
明日気が触れてしまわない保証はどこにもないのよ。
もしそうなったときは、それは外的要因というか、ただのきっかけだと思うんだけど、だからこそそれを責められないと思うんだよ。人間同士の相互関係で世界は成り立ってるからさ、安倍さんや高橋さんが亡くなったのって、京都アニメーションに火がつけられたのって、私たちにも責任はあるのよ。
死んでしまった理由は「銃で撃たれたから」かもしれないけど、その思考に至った原因はもっと根底にあるのよ。その根底を作り上げたのって、私たちが相互的に暮らしてる社会、というか人間そのものなのよ。
まあ要するに人間ってそこはかとなく恐ろしいな、ってこと。
それをなんでちゃんと警笛を鳴らさないのか。本質を見ようとしないから深淵に覗かれた時にテンパっちゃうんですよ。「ええっなんか深淵に覗かれちゃったよヤベー!」ってな具合になっちゃうのよ。
メディアがしっかりと深淵を覗く行為を肩代わりしてやってくれさえすれば、もっと私たちに危機感が宿って、きっと優しくなるはずなのに。
それをメディアや私たちが意識しないってことは今回の事件を誘ってるのと同じことなんじゃないの?とさえ思います。
とても気持ち悪いです。
色々意見を言ったし極論もあるかもしれないけど、
命は平等だ、優劣はないっていう考えがあるからこそ、「命は平等に無価値だ」と思えちゃう理由でもあるんですよ。
まあ命の重さとかって良くわからないけどさ、
少なくとも現世を生きている我々に言わせれば、
どんな理由があっても死んではいけない、ということ。
どんな理由があっても、人を身勝手に傷つけちゃいけないってこと。
あなたの思考が、あなたの心や脳に宿ってることの、未来を踏まえた時のあなたの価値こそ測れないものだからさ。
間違っても、
安倍晋三を殺したキチ*イを殺せ。とか、思うのはやめてください。
履き違えすぎです。
まともな判断ができなくなる前に、考えてください。
なんであなたが生まれてきたのか。
この世の幸福について、すべて。
考えてください。
私は、一個、答えみたいなの、あるよ。
言わないけど。
安倍さん、せめて苦しくなかったらいいなと思います。
紛いなりにも、日本で一番頑張った人だもんね。
日本ってこういうことが起こらないいい国だっていう雰囲気が世界中にあったのに。根底から覆っちゃったね。外交的側面からすれば円安加速するかもね。いまそんな話してないけど。
他人事じゃないよ。
あなたも明日、悪意に支配されて誰かを殺しちゃうかもしれないんだよ。
人間は多分そういう生き物なんだから、危機感を持ってください。
それでも、死んでいい理由ではないので、私たちは、死ぬまで、生きていくしかありません。
こんな国になってしまって、寂しいですね。
そんな国を作ったのは私であり、あなたなんですよ。
SP責め立ててる場合じゃないんですよ。当事者意識を持ってください。犯人や、心が虐げられてきた人に、しっかりと目を向けなくちゃいけないと思います。
まあ、昨日今日と、これを読んでも、読んでなくても心がぐったりしていると思います。
だから今日はゆっくり休んでください。情報を遮断して、紅茶でも飲んでさ。クッキーあるよ。
見たくないものを見ないようにするのは大事なスキルの一つです。
その時、心がちょっとでも「見たくない」と思ったなら、見ないのが”その時は”正解です。目を背けるなとは言ってない。
でも、現実はずっとそこにある。これを思い出すのを決して怖がらないようにしてください。心の壊れ方は人それぞれだから。
現実には心が壊れちゃいそうな要素もあるけど、自我を保てたり幸福を呼んだりする要素もあるから。
これは私の考えの一部です。あなたの考えではありません。私だけのものです。
否定される筋合いはない。
余白はあるけどね。
元気があるときに、
ちゃんと自分で考えてください。
ちゃんと喜怒哀楽を噛み締めて生きていきましょう。
じっくりね。日々は生きてさえいれば、続いていくので。
おしまい。