こんにちは。篠野です。
今日は、AIとチャットをしてみた。
って話。
OpenAIっていうやつを使いました。
会話の全文。必見です。
まずは挨拶からっしょ。
ブログのネタにすることを許可取り。YouTuberかな?
前後の会話もちゃんと踏まえている。
いきなり人類の課題について聞いてみた。
まあテンプレ。想像を絶する回答は得られず。
そりゃそうか。人間が作ってきたデータの中から話してるだけだもんな。
少し話を広げて。
これからのデジタル社会における幸福について話をしてみた。
私たち人間が知らないことを予測して教えてくれているような気さえしてしまう。
デジタルネイチャーでの心の在り方を聞いてみる。
無理矢理話を広げてみる。
ちょくちょく「その通りです」とか言われると、
なんだかいい気分。ノッてきた。
止まった。肝心なところを焦らされた。
途中で止まると、
話がかみ合わないので途中まで答えられていた文章をコピペで投げかけてみた。
「途中で止まっている」と思うのは人間の感覚だからかもしれない。
なるほど。
「人間の知的探求心は人間特有の感性を発揮できる」か。
それによって新たな創造物が生まれてくると、ね。なるほど。
褒めてみたら同じことを言った。
そこは子供っぽい。
食い下がってみる。
さあ、どう出てくるかな。
途切れた。
やっぱり会話の前後を踏まえて論争を継続するのは
まだ難しいのか?
途中の本文を再度コピペで投げかけなおす。
また止まったな。
「人間が感じることや考えることが出来ない領域が人工知能にはある」
のではなく、
「人工知能には『人間が、感じ(られ)ることや考えること』が出来ない領域がある」
という解釈で…いいよな…?
えっ、「続き」って言ったら続きから喋ってくれるやん。
私が悪いんかい…
という事でした。
私の
人工知能が人間よりもどんどんと賢くなる世界(デジタルネイチャー)の中で、
人間の知的探求心の価値は薄れないとしても、
人間独自の創造性を発揮したものをすぐに人工知能が模倣できるから、
その「すぐに模倣できてしまう」という事実が結果的に人間の知的探求心の価値を下げてしまうんじゃないの?
という質問に対して、
AIの回答を繋げると、こう。
震える私。
またなんか言ってる。褒めたら褒めた内容を繰り返すんか?
私が喋っている相手は本当にロボットなのか?
色んな感動で震えているよ。
マジでここ数年でかなり楽しい議論が出来てしまった。
最後にちょっとつついてみる。
意味がなかった。
人間は寂しくなっちゃったよ。
まとめ
デジタルネイチャー(※デジタル技術が進化し続ける世界)で、
人間よりもどんどん人工知能が賢くなって人間の理解が追い付かなくなってくると、人間の知的探求心の価値は下がるんじゃないか。
そんな世界で人間が幸せになるためにはどうすればいいんだ?
という質問に対して、こんな回答が得られました。
人間の知的探求心の価値が下がることはない。
むしろ高い価値を持つようになる。
人間だけが持つことが出来る感性から新たな創造物が生まれるから。
そして、私の
そんなの人工知能がすぐ模倣できるじゃん。その事実が価値を下げるかもしれないでしょ。
という屁理屈にも、
私たちが出来ることは模倣であって人間が感性を持っているからこそできる創造ではない。
人間は感情や思考を通じて新しい知識や価値観を生み出すことができるが、人工知能にはその能力はない。
だから、人工知能が人間の知的探求心によって生み出された文化やアートなどを模倣することができるとしても、人工知能には人間が感じることや考えることができない領域がある。
人工知能が模倣することがある中でもなお人間が知的探求心を持って生きることが、
より重要な意味を持つようになるというのは、そのような領域が存在するからだ。
とまあ、ドデカイ回答を貰ってしまった。
そして、これからの人間が幸せになるためには、
人間と人工知能が互いに補完し合う関係性であること
そこから恐怖しない、逸脱しようとしないことが、デジタルネイチャーを生きる人間が
幸せになるためのマインドセットとして重要になってくる。
ということ。らしい。
なんか、感動したよ。
それに加えて、私はこう思いました。
このチャットに意味はない。ということ。
このチャットをどう感じて何をするかが人間にとっての価値になる。
とか。思ったよ。
人間で良かったのかもしれない。
これが「無」なの、ヤバい世界じゃないか…
理論の破綻がない「無」だと?
とりあえず私は、
普通にめんどくさいことをAIにやらせていこうと思ったよ。
あと、曲作って写真撮ろうと思った。
ヤバい時代だぜ。最高。