物事への関心や注意力と言うのは、いつだって一方向のみで、
多方面に注意を向けるという行為は、
結局のところ一本の関心を枝分かれさせているだけである、とか思う。
それはもう、さけるチーズのように。
「絶対に猫のことを思い浮かべないでください。」
と言われたときに思い浮かべるのは、まず猫であること。
これと同じ造りだと思う。
「猫以外」に辿り着くには、まず「猫」を経由する必要があるはずだし、
今日もギャルは渋谷のハチ公前でスマホをいじってるはずだよ。
なんていうか、物事への関心とか、
その時々のエネルギーってあるじゃないですか。
例えば、ブログでも、ノッているときって、
一気に何記事も書いて、
「あ~まだ書けそうだけど終わっておくか」
って感じになったりとか、
例えば、勉強をしている時でも、
「もうちょっとやりたいけどご飯だし一旦…」
みたいな感じになったりとかするじゃないですか。
で、結局、その後って、
その時のしたいことの欲求とか、関心とかって、
半減あるいは無くなってしまうことがほとんどだと思うんですよ。
どうですか?今日はそんな話なんだけど。
このエネルギーが保存されない理由って、
保存されないというか、上書き保存だからだと思うんです。
あ、篠野です。こんにちは。
今!?
しかも人生というのはオートセーブで、
主人公が持っているエネルギー量のステータスは個体差があって、
ロケット鉛筆方式で上書き保存されていくから、
時間が経ったエネルギーは徐々に排出されていくんじゃないの?
っていう考え。
注意力っていうのは、一つの事象にしか向けられないっていう面白い例があって、
大昔に見たTEDっていう海外のプレゼン番組?でそんなことをプレゼンしてた心理士みたいな人が、続々と人のポケットや腕から財布や腕時計を気付かれずにスリまくるというやつがあった。
これは、人間の仕組みとして必然的なものらしく、
結局人っ子ひとりの注意力っていうものは、
一方向でしか無くて、
多方面に向けることはできないので、
注意力散漫とか言われるけど、それは普通のことだと思うんですよ。
1秒前のことと、1秒後のことに注意出来ないのは、そういうこと。
面白い仕組みをしていますね、脳というのは。
で、タイトル回収だけど、
この注意力とか、~したい欲をエネルギーと定義したときに、
エネルギーを上書き保存じゃなくて、
名前を付けて保存出来たらどうだろうか。
と、思ったってわけ。
ついてこれていますか?いや別にいいけど、ついてこなくても。
頭のいいさまぁ~ず三村「名前を付けて保存したところで、結局は参照しないといけないだろ!」
ぷ~??
んま~ちゃ!。
めんめんぷ、ぽえ~ん???
ぴえ~い。
すみませんでした。(おしまい)
ちょっと反省してきます…