です。篠野です。
今日は、ひねくれた私の話を聞いてください。
今日”も”か!アハハ!
(何が面白いんだろう)
トピックです。
「がんばる」が嫌い。
ということで今日は、
題にもある通りです。
「がんばる」という言葉が嫌いです。
頑張るのがダサいからとかそういう高校生みたいな理由ではない。
むしろその逆。
まあちょっと、嫌いな理由を羅列していこうかな。
嫌いな理由。
頑張ってるだろ。
頑張ってるんですけど。
って感じ。
いやあの、頑張っていない人は論外なんですけど。
常に全力で生きるだろ。犬を見習えよ人間。
基本的に頑張るのがデフォルトなのに、
頑張るという言葉が存在するのって、
頑張ってないからじゃないですか?
全力で生きていれば、概念自体必要ないよね。
その人の努力は他人が測れるものではない。
人事評価制度とかでもあるじゃないですか。
「頑張りを評価して」
ってやつ。
何を分かった気になってんの?
努力量と成果はイコールじゃないのに。
のに、のにですよ。
成果物を見て「頑張ったね~」ですよ。
成果が出なきゃ頑張っていないのかな?その否定の裏返しであることを理解している?
顕著な例。
これが顕著にみられる事象があるんですよ。これ。
学校の運動会。
徒競走とかリレーとかあるじゃん、
で、そこでさ、順位の後ろの組に対して、言うじゃん。
「赤組、頑張ってください!」
ってやつ。
頑張ってるだろ。
”かけっこが遅いこと”が悪なのか?
頑張ってないから足が遅いのか?違うだろ。
う~ん、嫌なパパ!!!
まとめ
まとめちゃいます!そんなにまとめるほどたくさん書いてないけど。
・篠野は「がんばる」が嫌い。
・頑張るのは当然なので概念自体必要ない。
・頑張っていない人は論外。
・努力量と結果は必ずしもイコールじゃないのに「頑張り」を評価する。
・頑張っている人に「がんばれ」は失礼じゃない?←New!
壁があったら、目標があったら、越えるしかないんですよ。
それは当然なんだから、当然のように乗り越えてください。
その過程は「頑張る」ではなくて、「当然」です。
したたかに生きようぜ。
という話。
おしまい。