歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

ライカを持つ人生と持たない人生の話。



結局のところ、ライカを所持するかどうかが、人生における一つの明らかな分岐点であると私は考えている。

実際問題、ライカというカメラは法外かと疑うほどに強気な価格設定をしている。ボディで100万、レンズで100万はくだらない。日本ならば新車の軽くらい買える。しかしライカはカメラなので写真を撮ることしかできない。乗ってどこへでも行ける車とは訳が違う。

人によって価値観というものは様々で、文字通り自動車で100万が安くてもカメラで100万は高く感じる人もいるだろう。これが価値観というものかと再認識させてもらった。

カメラに100万円を「安い!」と言って払える人がこの地球上にどれくらいいるだろうか。
ほとんどいないのではないか。

例えば金が余りに余っている芸能人でも写真を撮るためだけに100万以上かける事には抵抗があるようで、先の記事で紹介した、有名YouTuberの水溜りボンドのカンタ氏がライカを2年悩んで購入したという話にもあるように、映像を生業にする金銭的に余裕のある人でも2年悩むのだから、カメラに100万かけることが「安い!」と言える人は殆どいないのではないかと言える気がする。

kan-ghi-ten.hatenablog.com




それでもライカを手に入れることに大きな憧れを誰もが抱くのは、ライカが王道を走り続けているからこそであると私は考える。
カメラ=ライカ
この等式が成り立ちそうになるほど、ライカは一貫して最高峰のカメラの立ち位置を譲らない。それは価格もさることながら、プロダクトとしての妥協の無さもそうである。

ピアノで言えばスタインウェイ・アンド・サンズのグランドピアノであり、車で言えばポルシェであり、デニムで言えばリーバイスであり、ギターで言えばギブソンレス・ポールであるように、カメラで言えばライカなのだ。

誰もが憧れる名品

これに尽きるのである。

この肩書を背負うプロダクトのプレッシャーというのは想像もつかないほどに大きいものだろうと思う。

まあ御託はこのあたりにしておいて、結局のところライカを持つ人生と持たない人生は大きく異なるという話をしようと思う。

私はもうライカを手にしてしまったので、手に入れる前の人生に戻ることはできない。
それゆえにライカのことを褒める事しか出来ない状態であることを先に断っておきたい。
これは自分で大枚はたいて購入に踏み切ったから、ライカを貶すことは自分の価値観を否定することに繋がるからかもしれないが、それ以上にライカが自分の傍らに存在することの意味を実感することが出来たのは、ほかでもなく私がライカを手に入れたからであり、しまいには「ライカは高くない」と思えてしまうほどの副産物があるのだ。金銭的な減価償却はできないのかもしれないが、ライカが与えてくれた副産物で心理的側面での減価償却が出来てしまっている。そんな感じだ。



具体的に言うのであれば、日常との関わり方に深みが増したような感覚があったり、
自分に自信が付与されたりなどがある。

イカを持って出歩くことは、ある種武器を所持しているようなもので、
「私はライカを持っている」という事実をひけらかしながら歩くことで、
私は勝手に世渡りをスムーズなものにしている感覚である。

日常の些細なことが「画」として捉えようとしてしまうこの感性を養うことが出来たのは、
他でもなく、私が手にしたライカレンジファインダー機であるからだった。

写真を撮るために覗くファインダーはただのガラスであり、視界を四角く切り取っただけの窓である。それが”ファインダーを覗いている間”と”日常で私たちが目に留めるもの”の差を極限まで狭めている。だから日常で目に留まるものが、ひいては私たちが目を開いている間に視界に映るものがシャッターチャンスに見えやすくなって仕方がないのだ。



いわゆる誰もが憧れる名品を使っていることが、私の人生の価値を高めてくれているような気がしてならない。ライカを持つ人生と持たない人生という意味では、結局はこの違いかもしれない。断じてこの”価値を高めてくれる”感覚というものは相対的なものではなく、自分の湧き上がってくる感情なので絶対的なものであることをここで言い切っておく。
他人がどんなカメラを使っていようが、例えば隣で写真を撮る人が安物のデジタルカメラだったとしても”ライカを使う自分”の価値は上下しないことを断言したい。
そういう領域ではないのだ。ライカは。
これはきっとポルシェに乗っている人も同じような感覚なのだろう。そういうものだ。

誰がどんなカメラを使っていようが関係はないのだ。自分が結果的に気に入ったものを使うことが自分の人生において一番正しいのだ。お気に入りの服を着て街へ繰り出すべきなのだ。自分の為に。

好きにすればいい。私も好きにするから。そう思わせてくれたカメラ。そういうことにしておこう。