歓喜天日記

私の持つ"喜"をここに記します。

シンギュラリティ後の音楽のかたち。




こんち。逆から読むと挨拶ではなくなります。篠野です。


皆様の記憶に新しい、シンギュラリティの話です。

2025年ごろにそれは怒るとされているわけです。

過去記事と参考にしやすい動画を載せておきますので、
先に一読、視聴しておくとこの話に馴染みやすいかも。

kan-ghi-ten.hatenablog.com

www.youtube.com

www.youtube.com


ってことで、トピック行きましょう。



シンギュラリティってなに?



この解説動画の受け売りですが、
「自然の進化速度が人間の理解速度を超えること」
と落合陽一さんは言ってます。


この「自然」はデジタルネイチャーのこと。



「自然の進化速度が人間の理解速度を超える」…?

てことは、人間には理解できない速度で自然が進化し続けているってことか…
自然において、何が起きているのか人間では理解できない状態になるってことか…

っていうのは想像するに容易いかと思うんですが、

ここで言う「自然」というのは、ズバリ
「デジタルネイチャー」のことを指しています。

居心地のよい気温や水温は、人間の体温が基準となるので、それを挟んだ温度域が環境中に広がっていると考えられる。

-図らずも我々は、自らの感覚器を基準にして自然環境をつくり変えています。
それを意図的に行って環境と技術、ひいては人間と機械の融合を促しうるものがデジタルネイチャーです。-
引用元
www.jpower.co.jp



私もデジタルネイチャーという概念を完璧に理解はしていませんが、
分かりやすく例を挙げるとするなら、

カーナビがあれば行ったことのない場所でも辿り着く。
これ、ごく自然なことだと思っていませんか?

これはデジタル(技術)が私たち人間にもたらした
新しい「自然なこと」とも言えるわけです。

知らず知らずのうちに、それを自然なことだと思っているわけです。
この馴染んだ状態のこと。これがデジタルネイチャー。


もっと言うと、技術の進歩で、
今はまだドラえもんの世界なんて夢物語だと思うわけじゃないですか。
でも、そのうちその境界線もだんだんと曖昧になって、
そのうち自然になるはずなんですよ。
カーナビが私たちの知らない場所に案内しても「そこに辿り着ける」と
信じて疑わないように。そのうち、そうなる、ってワケ。
色んなところでこういう事象が発生するはずだという話。


これを音楽に落とし込むと?



シンギュラリティ後の世界だとして、
人間の知能(人間性)と、ロボットの知能(人間性?とは言わないけどそういう部分)の境界線が無くなったころの音楽はどう変わるのかな、って考えてみる。

まあ先述した動画でも紹介されてたんですけど、音楽の歴史としてね。


☆音楽を演奏する人がいる&音楽を聴く人がいる
→レコードが発明される
→最初は「レコードなんてこんな重たいものが」と馴染まない。
→家でも音楽が聴けるじゃないか!
→誰でも音楽が作れるじゃないか!
→馴染む

☆ロボットが曲を作るようになる(もうなってる)
→最初は「ロボットの曲だなんて」と思って馴染まない。
→ロボットの曲を人間が編曲するようになる。
作曲者が人間かロボットかなんてどうでもいいじゃないか!
→馴染む

☆曲を作ったけど、なかなか人に聞いてもらえない。人気になりたいなあ。
→ロボットが聞いて評価してくれる
聞いてくれるのが人間かロボットかなんてどうでもいいじゃないか!
→馴染む

ウン十秒で曲が作れるようになった時代に、
人は音楽を聴きますか?という問いかけに対して、
こういう変化が起こるだろう、って落合陽一さんは言っているわけです。
レコードがそうだったように、今後もそうなっていく、という理論で。
これが、今は信じられないけど、そのうち疑問にも持たなくなるという事です。そう自然が進化していくよ、という感じ。


人間が作った音楽も、多分残る。




この話は、これまでの歴史の中であったように、
レコードとCDに置き換えて考えることができると思います。

レコード=人間が作った音楽
CD=ロボットが作った音楽

いまレコードを聴く人が全くいないかというと、NOですよね。

これと同じで、
ロボットの曲を聴く人間
人間の曲を聴くロボット
ロボットの曲を聴くロボット
人間の曲を聴く人間

この4パターンがごく当たり前になるだけだと思うんですよ。

これまで人間が作ってきた音楽は、
”人間が曲を作っていた時代の音楽”として
今のレコードみたいな立ち位置になるという感じでしょうか。

古き良き的な。

音楽だけじゃない。



きっと音楽だけじゃなくて至るところでこういう変化が起こっていくわけです。
それには、きっとほとんど気づけないんだけどさ。
カーナビが当たり前になったように、知らず知らずのうちに
変わっていくっていう話。

でもきっとこれまでの人間が歩んだものは、
「レトロかわいい」とか「エモい」とかいって
レガシー的に残っていくはずだと思います。

実物があるということは、そういう事。
シンギュラリティが起こって、
デジタルネイチャーがどんどんと浸透していって、
いつか、物事の重要性の比重が
実体<実質になるとき、

世界はどうなるんかな。


それを新しい世界として、受け入れられるように、トレーニングしておこう!
という話でした。

このブログを人工知能が書いていない証拠は?

あててみて。

おしまい。