歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

目を閉じるといつも脳裏に流れていた映像が最近変わった。

 

記憶のある限りを辿ると、覚えている内で最古なのは、こんな映像だ。

目を閉じると峠道を猛スピードで永遠と走っているような映像。時にはジェットコースターのようなレール状の道をひた走る事もあるが、大体は峠道を攻めている映像と共に目まぐるしく、景色を後ろに流していくものだ。両者に共通して言えるのは、誰もいないということ。

私が14歳位の頃から、決まってこの映像だった。実に15年弱にも至る間、私の頭の中ではまるで飽きもせずに。眠りにつく前、毎晩、意識が夢に落ちる間際まで、この映像を見てきた。

そして、まさについ数ヶ月前の事、それが変化した。実際にはもっと前から映像は切り替わっていて、15年もの間流れ続けた映像は私の無意識下に存在し、私にその記憶が上書き保存されることは無く、毎朝再起動する度に「私の瞼の裏の映像は峠道を走る映像だ」とデスクトップにある更新日時の古いデータを参照し、思い込んでしまっているだけなのかもしれない。無意識下に潜り込んでいたそれは変化を既に遂げていて、数ヶ月前、ようやく私が認知しただけなのかもしれない。それでも、私が変化を認知したのだから、それは間違いなく変化したはずだ。私のデスクトップにあるその記憶はリネームされ、古いデータとしてドライブ直下に保存されている。

15年もの間、峠道を脳内で攻めていた私は、下から上に文字が流れていくのを脳内で眺めるようになった。奇しくも、その文字を読み取ることはできない。クリーム色の背景に、灰色、時には赤や黄色の文字が映画のエンドロールよろしく延々と下から上へと流れている。何が書いてあるのかはわからない。その文字列を読み取ることができないのか、はたまた読み取る気が無いのか定かではない。

この変化が意味することは何だろう。そして変化した後の映像の意味は何だろう。はたまた、これまでの映像が意味していたことは何だろう。恋をして、働き過ぎて、床に伏せ、ただ目を閉じると必ずその映像だ。心境や状況には左右されない。なぜだろうか。人生の変化点が私の意識の外で発生した?何か決定的な価値観の変化が訪れた?自問自答をする。私が認知できる変化点は幾度かあった。15年の間にも、恋をしたり、禍々しい感情になったり、寝ずに働いたり、動けなくなったり、結婚をしたりした。それでも峠を攻め続ける脳裏は変わらなかった。それが変わったのは何故だろう。自問自答をする。この問いに到達点はあるだろうか。15年以上かかるのだろうか。私の意識の内側にこの自問自答は存在しているのだろうか。どこにクエリを投げるべきだろうか。

例えばあなたはどうですか?目を閉じると決まって見る映像はありますか?
問いかけで終わります。