歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

私は名付け親には向いていない。


そう、向いていないんです。

いきなりですが、ゲームってやります?私はやります。たまに。
ゲームを始めるときって、高確率で求められることあるじゃないですか。あれですよ。

命名


私はひどくこの行為が苦手です。

なぜかというと、多分私は凝り性で飽き性だからです。


さいころからそうでした。
ポケモンを初めて親に買ってもらった時も、
自分の名前に関してはその頃は自分の名前をそのまま使っていたので悩みませんでしたが、
ライバルの名前で小一時間悩むこともありました。

Nintendo Switchとダークソウルを会社のお盆休み最終日に購入するような大愚か者の私は、私の夏休みはこれからだと言わんばかりに夜通しダークソウルを始め、無情にも訪れる朝に絶望したり寝坊したりします。

ダークソウルは名前を付けるようなことは無いからいいんですけど、どうぶつの森を購入した日には、私の凝り性が黙っていないんですよ。



「島の名前を決めるんだなも!」




無理。発売日前日にフライングゲットしたにも関わらず一週間悩みました。
私はずっと悩んでしまうんです。
まず、チョケた名前にするのか、チョケない名前にするのか。
チョケるならば、チョケたのちに、
どれくらいチョケるか。島の名前であればダジャレにするべきか。それともDASH島くらいにしておくか。
チョケないのであれば、日本語の名前にするのか、英語の名前にするのか、はたまた別の言語か。

私は常々思うんですよね。

チョケない名前にするなら、ゲームの世界観を壊さない名前にしたいなとか思うんです。

で、いざ外国人みたいな名前でゲーム始めたら登場人物全員日本人じゃねえか!とか。
日本人の名前にしてゲーム始めたら登場人物みんなカタカナじゃねえか!とかね。

日本が舞台になってるっぽいから日本人の名前にしたのに。
なんだよエリカって。こっちは幕ノ内貴綱なんだけど。



私、常日頃言ってることがあって、
選択肢は多ければ多いほど人間は無能になっていく、って私はずっと思ってるし事あるごとに行っちゃうんだけど、
ゲームにおける命名もこれが発生してしまうなと。

自由に決めてください!と言われると
私が持ちうる自由をそこら中から引っ張り出してきて選択肢化させてルーチン起こして探し回るんですよね。
こっちか?こっちか?って探し回るうちに
「あーあ、迷子になっちゃった。ここどこ。」
ってなってしまうんです。

それで一週間島の名前を決められずに遊びたいけど遊べない状況が生まれてしまうんです。

これがなんとも面倒臭い性格だなと自分でも思うので、

最近は、というか数年前だけど、
捕まえたポケモンに必ず名前を付ける縛り、みたいなことをやって3日で飽きたりもしました。

ゼニガメには亀模様って名前を付けたり、
ライバルにピカチュウって名前を付けたり。


その一環というか、延長線上の話をしようかな。

私、趣味で曲を作ってて、デモ音源だったら200曲くらい(多分)あるんですけど。
いや盛ったかも。50曲くらい。

デモ音源というか、こういう制作って、
”今感じているインスピレーションを今録音しないと忘れちゃう”みたいな場所なんですよ。
で、例えば1時間くらいで出来た曲があって、でも作っている最中に他の曲の構想が出来てしまうと、録音してデモにした瞬間に次に行かないと創造性を取りこぼしちゃうんですよ。
そこでデモ音源のタイトルを本当に5秒くらいで決めるってことを強いられると。そうすると
録音中にギターの弦が6本中3本切れた時の曲は、「ぶっ飛ばしていたら弦が切れまくりました」という曲名だし、
好きなバンドのライブに行ってインスピレーション貰って作った曲は「ライブの感想です」という曲名だったりする。
しかも極めつけはデモ音源を作ったら完璧に音源として形にするまでに時間が空いてしまう事も多々あるので、
私の中で曲名として根付いてしまうんですよね。「ぶっ飛ばしていたら弦が切れまくりました」が。


そう、私は名付け親には向いていないのだ。

これを自覚しないようにしようとしていることで、私は来る人生の大命名イベントに備えているのです。
結局のところ場数を踏むことで命名行為に慣れる、くらいしか対策として出来る事ってきっと無くて、それを私はゲームの主人公の名前や曲名やブログ名やバンド名や島の名前や屋号の名前でトレーニングしているのかもしれない。

何に向けてのトレーニングなのか。
そりゃ、子供の名前を決めなくちゃいけない時、来るしな。その時の為よ。

センス光り過ぎて尖った名前にするのもダサくて嫌だしありきたりな名前にするのもセンスがないと思われて嫌なので、絶妙な着地点を命名レーニングにおいて私は探し続けているって感じです。

人間はゲームじゃないし、人生はゲームじゃないけど、名前は最初で最後に与えるものだからね。ゲームみたいには考えられないんだろうな。


歓喜天日記 どう?センスある?

篠野 どう?センス、どう?

そのうち飽きそうなんだよなあ。
凝り性で飽き性って、難儀な性格だなあ。


主人公の名前を「あああああ」にする人の気持ち、とっても分かります。
一歩間違えればこのブログの名前も「あああああ」だし私の名前も「あああああ」になり得たよ。

ちなみに私のライバルの名前はもうずっと幕ノ内です。


おしまい。