今日、とある友人の友人がやっているバンドのライブを見に行ってきた。
とても良かった。
しかし、とても良かった度に思うのだ。
私はこれからも「バンドがしたい」という欲求を抱えながら生きていくことになる。
そして時々重くのしかかるのだ。
何か夢を追いかけている姿に憧れているのだろうか。
バンドがいかに楽しい活動であるかを知ってしまっているから、
うらやましいのだろうか。
もし、私があの時、バンド活動に本腰を入れていたら。
もし、私があの時、うつ病になっていなかったら。
もし、私があの時、転職をしていなかったら。
もし、私があの時、今の嫁と結婚しなかったら。
違う現在を見ていたことだろう。
本当に人生の選択ごとに世界線が分岐して複数存在するのであれば、
自転車操業を続けながらでも音楽活動を続けている自分の世界線くらいはどこかにあるだろう。
うつ病にならずに、人生を楽観視しながら世を渡れる人間になっている世界線もどこかにあるだろうか。
その可能性を納得した上で私は今の世界線になるように選択してきたはずなのに、
たまに、他の世界線に存在するかもしれない自分を羨んだりするのだ。
ただ、今の私にはもう守らなければいけないものがあるので、
それなりのリスクマネジメントが必要になってくる。
というか、私はもう、この人生を生きている間は、
「自分が本当にやりたいこと」と「一人の自分として成し遂げるべきなこと」のバランスに納得して生きていかなければいけない気がする。
それが出来ないから、またこれが「呪いだ」とか言っている。
「呪いだ〜」って言ってた話↓
まあでもね、嫁、銀河一可愛いので、全部許すわ。
この正解の全てを許すわ。全ての選択肢がこのためにあると思うようにしよう。
音楽活動はいい塩梅でやっていこう。
本気で打ち込みたいけど、打ち込みたくない、みたいな
二律背反みたいな。(言いたかっただけ)
オチもないのでね、もうこの辺で。
自分が何かを選択するときは選択しなかった方の世界線のことを想像しながら生きていくと、楽しいですよ。
え、もしかして観測者?(シュタゲ)
おしまい。