歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

世界がヤバい。




きっとこれは、一通り心を病んだことのある人が
一度は頭によぎるものだと思う。

心の病気を診断されようがされまいが、ここでは不問としたい。

まあざっくり説明しすぎるとタイトルのように、

世界がヤバい。

となるわけだけど。

もう根源を辿るのであれば、

すれ違う人すべてに人生があるの、ヤバい。

といった具合だ。

そしてここには私の人生と、視界に飛び込んでくる光景を照らし合わせた前提が省略されている。

まあここで言う光景というのは、すれ違う人々、みたいな感じでいい。

人間生きていると、必ずつらいことが起こるわけだけど、

もう死ぬしかないんじゃないか

と思うくらい、自分の人間性だとか、いろいろなことに絶望したことがある人であれば、
この「世界がヤバい」という考え方に及ぶにはとても容易い事だと思う。

もちろん、絶望の度合いだとか不幸の度合いだとかいうものは、
人間一人ひとりに幸福があるように、人間一人ひとりに不幸があるので、
優劣をつけるものではない。
あなたの絶望は、あなただけのものだ。


自分の絶望と、街を歩いた時に人々とすれ違うと、ある考えが浮かんできて、
省略されている前提が見えてくる。

(自分はたった20年そこらの人生でこんなに絶望したのに、)
すれ違う人すべてに(この絶望を孕んだ、あるいは乗り越えた)人生があるの、ヤバい。


という事である。


これがとにかくヤバい。

とことん病んでいる時は、
本当に親不孝であるが、
なぜ私を生んだのか恨むほどに、落ち込んでしまうものだと思うのだが、


何よりも重要なのは、


この絶望だとか、辛い人生経験が孕むことを理解して尚、
私たちが生まれて生きていくことを親が望んだから、ここにいるのだ。


という事だ。


過去に、生まれてきた理由を考察したことがあって、
まあそれを一つの回答として、

kan-ghi-ten.hatenablog.com



今度は、生きている理由を考察するべきなのだろう。

きっとこれは、生まれてきた理由に、もちろん通ずるだろうと思う。


まあもはや、この考察については上記の記事リンクから飛んでもらって、
各々考察することが一番の価値があると思うので、省きたいと思うけど、

要は、すれ違う人々に価値の大きさを計れないそれだけの人生があって、
その人たちが集まったものが社会で、
それは私たちが生きている世界だということ。

ということで、清々しい気持ちで一緒にこのブログを締めくくりましょう。
ご唱和ください。



世界がヤバい!


おしまい。