歓喜天倶楽部

歓喜天倶楽部

日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

毎朝私たちは生まれ変わっているはずだ。



いやタトゥーいかつ!
ども、篠野です。
今日も暇だしお題に答えていくぜ。え?うん暇だし。
一日八時間労働してる程度では私はまだまだ暇です。
ということで今日のお題は…



私がとらわれていた「しなきゃ」






今日は私の実体験を交えて、私が「しなきゃ」と思わなくなるに至るまでを話していきます。

記事を書く前から真面目な雰囲気がプンプンしています。

滅茶苦茶良い事教えてあげるから最後まで見てってくれ。



ってことでトピックぜよ。日本の夜明けぜよ。






「頑張らなきゃ」と思っていた。



私も、皆様の例には漏れず、
何かと「頑張らなくちゃ」と思うタイプでして、
根っこが本当に真面目過ぎるのか、
後天的に真面目になったのかは今となってはわかりませんが、
本当にクソ真面目な奴で、
学生時代も、イイカンジの雰囲気になった女の子をその場の勢いで抱く
みたいなことは一度もありませんでした。
大学時代で覚えているだけで5~6人あったけど、
「付き合っていないので抱きませんよ!」
と言っちゃうくらいに真面目でした。神に誓っても良い。
テメーと一緒にすんな猿。(急にコワ)

幼少期に剣道を習っていたのが実はデカい要因だったのかなと思ったよ今。

kan-ghi-ten.hatenablog.com



とにかくまあ、少なくとも東海地方では一番真面目な人間だったので、
何においても、

「頑張って働かなきゃ」
「頑張って自分を成長させなきゃ」
「頑張って周りから認められなくちゃ」
「頑張って頑張らなきゃ」

とか思っていました。


うつ病になってその先入観が死んだ。



でまあ、仕事をしていて、
例に漏れず、「頑張らなきゃ」と思いながら働いていたわけです。

「頑張って今日の仕事をこなさなきゃ」
「頑張って今日までのことを積み上げなきゃ」
「頑張って明日の仕事を前倒しでこなさなきゃ」

そうこうしていると、まあ病気になりまして。
その話はここに置いてあるから見てみてくれ。

kan-ghi-ten.hatenablog.com

kan-ghi-ten.hatenablog.com


散々語っているのでここでは省略します。

要約すると

頑張りすぎて自分に絶望して病気になった

という感じです。


これだけ頑張ったのに、なんでこうなるんだ、と。
もっと頑張らなきゃ、と。

繰り返していたわけ。

それでまあ、先の記事でも語ってるんですけど、

死ぬかもしれないと怖くなって、友達が助けに来てくれて、
病院行って、うつ病と診断されて、お薬を飲んで、翌朝、朝日とか鳥のさえずりとかを見たり聞いたりして、
なんかわかんないけどえらく感動して泣いちゃったんですよ。

で、思ったんですよね。

「なんで今まで頑張らなきゃいけなかったんだろう」って。

頑張って病気になったわけじゃないから、頑張ってないのに。
それなのにこんなに感動できることがあるなんて。


みたいな。

絶景を見た時の感動に近い感じ。

こうして私が抱えていた「頑張らなきゃ」という先入観は死にました。

頑張らなくても感動できることがあるんだと思ったからです。
頑張らなくても幸せを感じられるんだと知ったからです。


なぜ「しなきゃ」と思っていたのか。



じゃあなぜ、「しなきゃ」と思うのか、
私なりの考えをお話します。

他人と比べているから。



他人と比べているからです。

「あの人と比べたら私は全然頑張っていないから」

だから、私も頑張らなきゃと思うんじゃないんでしょうか?

ある程度は切磋琢磨に値するので、価値のある思考回路だとは思いますが、
本質は違うと思います。あとで解説します。

未来が分からないから。



「未来が分からないから怖い、から、今苦労しなきゃ」

みたいに思うこともあると思います。

「老後が心配だから、今貯金しなきゃ」

みたいなね。

「心配だから○○しなきゃ」

という考えには間に経由するものがあります。


どう?心当たりある?あるはずなんですよ。あとで話すけど。

「しなければいけない」ことは存在しない。



結論ですが、
世の中「しなければいけない」ことは存在しません。
言い切っちゃおう。解説しますよ。

核心に触れていきます。



よく聞いてください。
あ、これ文字だから読んでください、か。

核心はここなんじゃないかと思ってます。



なぜ「しなきゃ」と思うのか。

それは、今まで強いられてきたからです。
義務教育において、与えられてきた「宿題」というやつです。
これを経て、
「しなきゃ」という考えだけが根付いてしまったんじゃないかと思っています。


私ももちろん当時はわからなかったけど、
なぜ宿題をしなければいけなかったのか。
宿題とは何だったのか。
宿題が持っていた本当の役割を考えてみました。


宿題というのは、
自分が何かを学びたいと思ったときの手段の提供です。

考え方や調べからもわからないまま、自分が、
自発的に何かを学びたいと思ったときに、
そうやって学べばいいか分からなかったら、途方に暮れてしまいますよね。
宿題というのは、その時に途方に暮れさせないように、
「こうやって学ぶんだよ」という手段を提示する存在だと思います。

手段が分かっていれば、途方に暮れることもないですよね。

社会に出た時に納期に間に合うように仕事ができるようにするために…
とか思いました?
それは大義名分だと思います。一理あるけど、本質は違うね。


じゃあ、
なぜ「やらなきゃ」と思うのか、紐解いていくとします。


ていうかみんなそれぞれ紐解けばわかるよ。

簡単な話です。

望んだからです。


どういうことか。
考えてみてください。

「老後が心配だから貯金しなくちゃ」

これを紐解いてみます。

この考えには省略されている言葉があるはずです。

「老後が心配
未来がどうなるか知り得ない、
老後に自分が苦しい思いをするのが
怖いから、安心したい。
安心するためには何が効果的か。
そうか、貯金だ。貯金をすると精神的にも経済的にも余裕が生まれて安心できる。
だから、貯金したい。
もし、貯金が出来なかったら、怖い。
そんなのは嫌だから、貯金した方が良い。

だから、貯金しなくちゃ。」

って感じじゃないですか?


無理矢理極端な例を挙げたいので、
例えば病的なまでに太っている人がいるとします。

「太りすぎてしまっているので痩せなきゃ」

という考えには、何が省略されていますか?
生きたいから、ですよね。
生きたいと思った、ということは、どういうことか。


わかった?そういうことです。

「したい」と思うきっかけの大半は、
「それが実現できなかった可能性」を考えるから
である場合が多いんです。

それが実現できなかったら、
悲しいかもしれないら、
苦しいかもしれないから、
嫌な気持ちになるかもしれないから、
死ぬかもしれないから。
だから、「しなきゃ」と思うわけです。





では、大核心爆弾結論丸を投下します。構えてッ!


「しなきゃ」と思うのは
「したい」と思うからです。



「しなきゃ」は原動力じゃない。




「しなければいけない」は行動の原動力ではありません。

それは本質を得ていない。

宿題をやろうと思っていたら親に「宿題をやりなさい」と言われてやる気なくなった
っていうのは、ある意味自然なことだと思うんです。

宿題に関して言えば、本質について誰も解説しないまま、
「しなければいけない」と渡された宿題だけがそこに存在するので、
まだよくわからない子供たちは
なんで宿題をするのかを得ていないわけです。
宿題を「したい」と思っていないから、出来ない。

大人も本質を特に考えもせずに、
「したいものである」ということを伝えずに強いている。
そういう感じです。
もしくは本質を分かっていながらも、どうせ伝わらないと思っている。
だから、自分は楽したいから楽をして伝えない。

結果、したくないことを「やりなさい」って言われても
「なんだよ頑張ってやろうと思ってたのに」
と出鼻をくじかれる思いをするわけです。

宿題を「したい」と思えていたら、とっくにやってるんですよね。


画像引用元:diamond.jp



当たり前のこと過ぎてひろゆきさん出てきた。
口調まで似てしまった。



「宿題やらなきゃ」と思うほど出来ない。

それって私が過去に、
「頑張らなきゃ」と思いまくった結果、ベッドから起きられなくなったのと
通じていると思うんですよね。

だから私は考えを改めました。

人は、「しなきゃいけない」と思う前に
「したい」と思うはずなんです。

死にたくないから生きる努力をしたいわけですよね?

死にたくないと思っているのに生きる努力をしたくない、なんてことありますか?

それは死にたくないと思ってないってことなんですよね。

やべ。ひろゆきさん口調抜けねえ。


「しなきゃいけない」と思う前に
「したい」という望みが自分にあることを理解できたら、
その「したい」という望みを尊重すれば、
実は、勝手に行動できるはずなんです。


だって「したい」んでしょ?

それで行動できていなかったら、
「したい」と思ってないってことなんですね。


どう?この自論。なかなか的を射ていると思うんですが。


私たちは毎朝生まれ変わっているんじゃないか。



まとめになりますが、
私たちは毎朝生まれ変わっているとしたら、どうします?
逆に生まれ変わっていないことを証明できないですよね。
じゃあ生まれ変わってるんだと思ってみてもいいんじゃない?
てことは、昨日までの先入観を捨てた自分になってみてもいいんじゃない?

未来のことが分からないから心配するのは当然ですけど、
より良い未来の為に頑張りたいと思ってから、
頑張るようにしてみると、頑張れますよ。

私はそうやって思考して、行動するようにしています。

言い切ります。

「やりたい」と思ったことしかやりません!


私の嫁も真面目な人間で「~しなきゃ」が口癖なんですけど、
「~したい」に言い換えるようにしてみたら辛くならないんじゃない?
と伝えています。

だって、したいはずなんだから。

そしたら一日24時間って短いもんですよ。
そう思えたら人生充実してるんじゃない?


今を生きることが結果、未来に繋がることを私たちは経験しているので、
大事なのは、今、何を思ったか、だと思うんです。



鬼滅の刃で竈門炭治郎も言ってたけど。
心が原動力なんですよ。

病気になって心が死んでしまったとか思ったけど、
ギリギリだけどしぶとく生きてたし、
生きてさえすれば心に光は差すんだなって感じ。

そういう話でした。飛躍したな?


他人なんか関係ないよ。


なんか説法しちゃった感が否めないけど、
実はこれ、今を幸せに生きていく方法だと思うんだよね。
てことは、これやったら、幸せな人生を送れるってことじゃね?
真偽は今はわからんので、死んだら証明するわ。
立証してぇ~~!



ちなみに私は、もちろんだけど、
この話が「したい」と思ったから書いたし、
だからサクサクと書くことも出来たんですよね。
ノンストップで8000字近くも。楽しかったぜ。


おしまい。


私がとらわれていた「しなきゃ」

LIFULL STORIES
by LIFULL STORIES