こんにちは。
今日はカメラのお話。
では、トピックです。
- 皆さんは、写真を何で撮っていますか?
- スマホで綺麗に簡単に写真が撮れる時代
- レトロブームの中、フィルムカメラが流行っている。
- 本物との違い
- 手間と所作
- 何も考えずには、まともな写真は撮れない。これが大事。
- 写真を撮るぞ、という心の準備から始めることがカメラの醍醐味。
- 所作には意味が宿って、愛着などの価値になる。
- もっとふざけるつもりだったのに、真面目になっちゃった。
- 手間とは思わずに、その所作を愛しましょう。
皆さんは、写真を何で撮っていますか?
多分というか、絶対だと思うんですけど、写真撮ったことない人はいないと思うんです。今どきそんなことあるかね?私が中学生の頃、まぁ海外にいたんだけど当時ボーダフォン使ってて、その頃は携帯電話にカメラ付いてなかったな。確かあの、音楽プレイヤーがついているやつ。ヘビーユースだったな。
あった!これこれ。懐かしすぎです。
カメラあるんかい。
私が15年以上も前からカメラは身近にあったわけだから、
もし写真撮ったことないと言うならそれは絶対に嘘ですね!!!!!
失敗したので今日は以上です。
※参考画像
復活しましたので本題に入ることができます。ありがとうございます。
スマホで綺麗に簡単に写真が撮れる時代
今ってそういう時代ですよね。
例えばランチ行った時、スマホで映え写真を撮りますよね?
あと「インスタ映え」っていう言葉、認知言語学的にはエラーだと思うんですけどどうですか?大学時代、私は認知言語学の研究してました。認知言語学者の皆様、そう思いますよね?
認知言語学(にんちげんごがく、英語:cognitive linguistics)は、ゲシュタルト的な知覚、視点の投影・移動、カテゴリー化などの人間が持つ一般的な認知能力の反映として言語を捉えることを主とする、言語学の分野およびその諸理論。
便利な時代になったものですね。
レトロブームの中、フィルムカメラが流行っている。
みんな肌で感じている通り、昨今のレトロブームといったらないよね。いわゆる「エモい」写真が巷でスタンダードになったり、古い旅館に予約が殺到したりしているけど、どういう心理なんだろうね。
古い旅館に泊まって当時の古いフォントの写真を最新のスマホで昔のフィルムカメラっぽく加工してインスタにあげていいねをいっぱい貰うためにティーンたちが古い旅館に泊まってる。ぶっちゃけ旅館で働いている人たちに失礼だと思わないのかね?インスタに載せるためだけに飯注文して写真撮って帰るみたいなの、法には触れないけど、モラル的に疑問に感じるね私は。
説教したいわけじゃなくて、フィルムカメラが同様に流行っているのは、ティーンたちが感じているものがあるからだと思っています。
本物との違い
これです。スマホでカメラアプリを起動して撮った写真をそれっぽく加工するのとは訳が違います。フィルムカメラではフィルムで撮った写真しか撮れないのです。そこに加工はない。それが本物かどうかという感覚。ティーンもちょっと思うところあってフィルムカメラに手を出したりしたんでしょうと思います。それが分かるのは誇っていいよ。わからないならそうやって一生偽物の写真を作り続けててください。フィルムカメラで撮れた写真は「ぽい」写真ではない。あんたが加工したそれは”嘘”だ。
手間と所作
フィルムカメラで写真を撮る上で、決定的な違いは、かかる手間。ここが圧倒的に違う。スマホで写真を撮る方法なんてものは無論省きますが、フィルムカメラで撮る場合、フィルムを装填して空シャッターを切って、露出もろもろを合わせて、ファインダーを覗いて、ピントを合わせて、仕上がりを想像しながら、シャッターボタンを押す。
これだけの手間が1枚の写真を撮る上でかかってきます。これを手間と思うか、一連の所作と思うかで大きくフィルムカメラの存在価値が変わります。
私の主観では、これは所作です。
何も考えずには、まともな写真は撮れない。これが大事。
もちろんデジタル一眼レフでも、シャッターを半押ししたらオートフォーカスが働いてピントが合ってくれるとかあるけど、私はそこに魅力はあまり感じません。
私が使っているのはLeica M-P TYP240というフルサイズのデジタル一眼レフですが、先述した便利な機能というのは一切ありません。写真を撮るためには、外の明るさを見てシャッタースピードを決めて、カメラを構えて、ファインダーを覗いて、ピントを合わせて、手ブレしないように息を止めて静かにシャッターを押す。この行為が必要になります。
私はこの所作が写真を撮る上での核となる姿勢だと思っています。
何も考えずにシャッターパシッて切っても、ピントは合わないわ、ブレまくってて何撮ったのかもわからないわで、まともな写真が撮れないのです。裏を返せば、躍動感を出すためにあえてブレて撮るとかそういうこともできるんだけどね。
写真を撮るぞ、という心の準備から始めることがカメラの醍醐味。
こういったフィルムカメラなどのマニュアルカメラで、「写真を撮るぞ」と思ってからシャッターを切るまでの一連の所作には、一切の混じり気というか、邪念がないことに気付けるでしょうか?
私はその空間に身を置くことがとても尊いと感じることができる。断言して、この空間がめちゃくちゃ好きです。
所作には意味が宿って、愛着などの価値になる。
カメラは、写真を撮るためだけに生まれてきているのですよ。
スマホで写真を撮るのも所作あるやんとか言ったら怒りますよ。オラァ!
カメラでは途中でtwitter見に行くこともできないんだよ!そんなこともわからんのか!
もっとふざけるつもりだったのに、真面目になっちゃった。
てへ。そんな私も愛してほしい。
やっぱ好きなものを語ろうとすると身が入って真面目になっちゃいますね。死者蘇生がチョケのピーク。
手間とは思わずに、その所作を愛しましょう。
私から伝えたいことはこういう事です。
君のそのカメラは、君に写真を撮ってもらうために生まれてきています。
そう思うと可愛くない?吉岡里帆かよ。
ここまで考えを馳せさせてくれるライカに感謝を。
??「ねぇ!ライカって誰よ!」
人の名前ではありません。
おしまい。