コニカミノルタ!篠野です。
※こんにちは!という意味
今日は私が愛用しているカメラ、
Leicaについての話です。
ライカというのは、知る人ぞ知る、カメラブランドの最高峰です。
ライカについて語った過去記事を載せておくので説明は省きます(横着)。
今日は、「ライカが私にくれたもの」というトピックに絞って、
皆様を沼に誘い入れよう。そいういう記事です。
では、トピックです。
ライカが私にくれたもの
ライカの圧倒的特徴である、価格の高さ。
ライカを買う、ということは、私は車よりもカメラを買う!ということを意味します。だって中古車買えるくらいするからね。
そんなライカを約4年間使用してきて、ライカを通じて私が得たものを紹介しようと思います。ライカを持っている人には刺さる。
箱根の写真。面白い目線で撮れた。
もう最新を追いかけなくていい
ライカを手にすることで、ほかのカメラに目移りすることが圧倒的に減りました。
まったく無くなったとは言い切れませんが、CanonやSonyやFUJIFILMからローンチされる新機種を追いかけることがなくなりましたので、確実に圧倒的に減っています。
もちろん気になるものもありますが、(FUJIFILM x-pro3とか)
でも、x-pro3を使える幸福よりもLeicaを使えない不幸のほうが私にとっては大きいのです。だってまあ60万くらいかけているわけだし。原価償却全然できないよ!
最新機種をせかせかと追いかけるのは、もうやめました。オートフォーカスの精度がどうだとか、画質がどうだとか、もういいっす。
わざとシャッタースピードを遅くしてこんな風に遊ぶこともある。60万で。
写真にこだわりがなくなった
オートフォーカスもない、このライカだと、「撮りたい!」と思った瞬間にシャッターを切っても綺麗に写真が撮れることはほとんどありません。
「おっ、ここ撮りたいかも」
カメラをONにする
「今日は曇ってるな」
露出を調整する
「あそこは大体5mくらいかな」
フォーカスリングを回す
「、、」
ファインダーを覗き、ピントの微調整をする
「カシャ」
シャッターを切る
最低でもこのような一連の流れが必要になります。
最短でも3秒くらいです。慣れてくるとファインダーを覗くまではカメラを見ずに操作するようになって、次第に距離の目測とフォーカスリングの距離合わせの間隔が近づいてきます。
フォーカスリング部分に指をかける部分があるから、
どの辺が何mかってのがなんとなくわかるようになってくるんですよね。
この人シャッター切るとき自分でカシャって言ってる…
とはいえ、この一連の所作が必要になってくるわけで、
わたしはこの所作が何よりも好きなんですけどね。
で、そうなってくると、いちいち写真の出来栄えを確認するのがめんどくさくなってくるんです。もっとこの所作だけ堪能していたい。
そうなると、出来栄えは二の次になるんです。
こうして、いい意味で、写真にこだわりがなくなりつつあります。
それでいい写真撮れると、うまくなった実感があるし、喜びもひとしおなんですよね。
マニュアルフォーカスからの贈り物ですね。
圧倒的所有欲の横溢
横溢(おういつ)だなんて、小難しく書きましたが、所有欲がこれでもかと満たされるので、カメラに限らず、何か欲しいものがあっても「ライカがあるからいっか」となります。マジで。
もはや安上がりかもしれない。
道具として、私が使うということ
先述した通り、M型のライカには余計な機能が一切ないので、どこまでいっても、「写真を撮るための道具」以上の存在にはならないんです。
この道具を私がどう使うかが、今後私がライカを使っていく上で意味を見出していく必要があります。哲学。
酒が飲める道具ってなかなかないよね。
写真のように見えるけど、絵の写真です。(?)
人生における写真を撮ることのあり方
ハチャメチャに哲学染みてきましたね。ライカから、これを説かれているような気さえしてきます。私の考えはこうです。
- 写真は記録であって、面白おかしく加工するものではない。
- 後世に残るかもしれない写真を大事に撮る姿勢が貴重なものである
- とはいえ、所詮写真なので好きなように撮ろうよ
これらを踏まえて、私はライカを道具としてガシガシ使い、
ストリートスナップをバシバシと撮っている次第です。
ライカ初陣の美術館で撮ったブレ写真。なぜかとてもいい。
まとめ
といったところでしょうか。
もっともっと、ライカを持つことで得られるものがありそうですが、まだ4年程度なので、まだまだ先は長いです。
しばらくは、私が好きなものを私が好きなように、写真に残していくだけです。
気長にガシガシ大事に付き合っていくんよ。相棒!
テープを貼ったり、ガツガツいろんなところにぶつけて塗装が剥げたり、いろいろあるけど、これからもよろしく。
おしまい