歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

twitterが死んでも俺たちはここにいる。



バンッ!篠野です。

巷で騒がれていますよね。

「どうなる!?ツイッター!」って。

CEOが辞任するだとかどうとか。
もうこの記事が上がっている頃には辞任しているかもしれないケド。

そもそも、ツイッターって日本人向けのサービスじゃない気がするんですよね。
日本人の国民性って、島国だし鎖国していた歴史もあるしで、明快に言うとするなら、「知らない人に話しかけちゃいけない」っていう文化じゃないですか。
「知らない人に話しかけられてもついてっちゃいけない」も同義として。
ていうか「知らない人に話しかけられてもついていってはいけない」と教え込まれた私たちが、
「じゃあ知らない人に話しかけてもいけないし、これはいけないことなんだ」
と理解するようになって、結果的に日本人は冷たいとか言われるわけじゃないですか。
道端で老人がぶっ倒れてても95パーセントの人は素通りするでしょ。
それが悪いとか言ってるんじゃなくて、ツイッターに向いていない国民性だよねってことを言いたいわけです。

日本人的な人というか、引っ込み思案の人なら共感してもらえると思うんだけど、
ツイッターで知らない人にリプライを送るって意外とハードルが高くないですか?私は高いよ。知り合いのツイッターでさえ、考えた挙句反応しないこととかあるもん。そんなん「フォローさせていただきました!すごいえっちなButtですね…」なんて言えるわけがないんよ。アメリカ人かよ。コンプラの意識が高すぎるんですよ。一挙手一投足一リプライで犯罪者にだって妻子持ちにだってなれるってわけよ。日本人はそれが怖くてしょうがないわけ。宝くじ買うくせに。

実際はmixiの方が日本人向けだったんじゃないかとか思うんだよね。
日本人的な鎖国的国民性を持っている人種にとっては、特定のコミュニティを設けてそこに当てはまる人達だけが集ってその中で鎖国的に文化を拡大していく、っていうやり方の方が日本人的だったんじゃないかなあとか思うわけよ。
ぶっちゃけmixiやってた高校生の頃の方が楽しかったもんインターネット。
違いますか?思い当たる節はないですか?だから私はツイッターのアカウントは趣味ごとに合計108つ持ってます。年末だから煩悩ってか?嘘つきました本当は7つです。結構多くない?ちゃんと使い分けてるよ。私こそが日本人なのだッ!なのでメイドインジャパンは好き。ポーター好きだしスカジャンほしくて毎日メルカリで目の保養をしてる。

ツイッターの140文字の投稿字数制限が無くなる説だとかいろいろあるわけで、コンテンツとしての在り方が問われている中で、もしかしたらツイッターに変わるSNSが台頭してこないのかもしれなくて。
もしそうなったとしてもブログはいつだってこのスタンスを崩さないじゃないですか。ブログやってる人ならわかるよネ。
文体一つで大喜利にも一発ギャグにもラブレターにも小説にもなる。
そういう自由度を持ち合わせたSNSって実際のところブログだけだよね。
私はブログをSNSだと思ってます。
だから普段考えていることとかクソみたいな思考とか持論をバンバン振り回しています。

ツイッターが死んだくらいで何だい。心の内を文字に起こして晒す場所はツイッターなんかじゃなくても、日本にはまだまだ健在じゃないか。
日本のブログ文化って結構盛んだと思ってるよ。日本人には行間という必殺技があるからね。活字に向いている。

ツイッターが死んでも、ここにいるぜ。

っていう話。