歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

汚れを落とす系のCMで、ちょっと汚れが残るのを毎回確認してしまう呪いにかかっています。

 

題の通りです。伝わりますでしょうか?言ってることわかる?

 

洗剤のコマーシャルなどで流れる、例えば「99.99%除菌!」といったセリフに合わせて流れる、汚れが取れていくCG映像で、どんなコマーシャルでも毎度1箇所くらい汚れが残ることを必ず確認してしまいます。これはもはや呪いのようであって、テレビを見ているとき、コマーシャルでそういった類のものが流れると、無理して目を逸らさない限り「残ってるな」と確認してしまう。そしてその後に自己嫌悪に陥る。というと誇張表現だけど、嫌な気持ちになるのは嘘ではない。ああ、また確認してるよ、なんで?という気持ちになります。しかもこれ10年とか続けてると思う。もうこの呪いも飼い慣らしたかもしれない。呪いを飼い慣らせるってちょっとカッコイイな(中二病

昔調べたんだけど、製造物責任法だっけな、作ったものに責任を取る必要があるみたいな法律で、100%汚れが落ちます!って言っちゃうと落ちなかったときに「落ちねーじゃねーか!」と言われて裁判で負けちゃうみたいなそういうリスクを避けるためだったような。そもそも抵触しそうなCMは放送できないんだろうけど。まぁたぶんこういう理由で”必ず汚れが残るCM”しかないんだということ。

けど、問題はそこじゃない。なぜそれをわかっていても尚、確認してしまうのか。ということ。お前はなんなんだ。製造物責任法の番人か何かなのか?図に乗るんじゃあないぜ。もう十分理解した。わかっているのに、確認する必要がないのに、確認してしまう。もうこれは呪いなんじゃないの。

別に自分は、些細なことに毎回アッ!と気が付けるような性格ではないと思っているし、細かいことを気にする性格でもないと思っている。それなのに、毎回確認してしまう。小姑かよ。今一度よく自分に問うてみる。この毎度確認してしまう呪いがこの仮説を後押ししているようでならないが、もしかすると自分は細かい性格なのかもしれない。ほかの人や世間一般がどうかは知らないけど、「この人喋りながら考えるとき左見るんだ」とか「こいつちょいちょい鼻ほじってんな」とか「あ今一瞬眉間に皴寄ったな、嫌だったのかな」とか「この子最近ちょくちょくお腹触るな、太ったんかな」とか「この子鼻をすする音がレ#だな」とか、言われてみると気が付くタイプではある気がする。まぁこんな具合に、人と話していると話の内容とかよりも細かい仕草に注意力が持ってかれてしまう事がある気がする。小さなことに気が付くというか、事実を確認したことはないので、私が一方的に気にしているだけかもしれない。というか、多分そうでしょう。過剰に捉えすぎているのかな。

まぁこれが功を奏すことってちょいちょいあって、嫁から
「今日の私、いつもと違わない?」(悪魔の笑み)
という、男を奈落の底へと誘う加虐心特盛りの質問が投げかけられた時も、かくいう私は割と正解できる気がする。

「うーん。目尻?の色がいつもより若干赤いかな?あなんか緑色入ってる?」みたいな。そこそこドンピで当たる。(ドンピシャという意味)
逆に今日は髪留めをしたとか指輪が一個多いとかネイルの色違うとかそういう明らかなデカい変化を言い当てることはいつもできないな。だって、あ変えたんだな。で自分の中で確定してクローズしちゃってるから。それクイズにされても、もう終わった話になってんのよ。ごめんて。

ここから立てられる仮説は、もしかすると自分は、実は細かいことにめちゃくちゃ気が付く性格で、それを自覚していないから、毎回汚れが落ち切らないCMを見て「落ちてないな」と確認してしまう事に自分自身が違和感を覚えていて、最終的に「これは呪いだぁ~!」「ああ~!」とか言ってるだけなのかもしれない。というもの。

まぁ私はこれからも馬鹿の一つ覚えで「ああ~!」「汚れが~!」とか言い続けると思います。本気で辞めようとしていないので私はこれを許容しているのでしょうな。呪いを飼い慣らしてるよ。
自分が細かい性格だという仮説はどこまでいっても推測の域を出ないけどね。
自分がどういう性格になりたいかは自分が決めるよ。ほっとけ!

ここまで読んでくださった方、ありがとう。
お礼に一つの感情をプレゼントします。
では、実際にご自宅のテレビで、CMで汚れが取れていないことを確認してみてください。すると「えwこいつこんなどうでもいいことを毎回確認してんのw」という気持ちなるかと思います。はい、感情一丁上がり!☆
私優しいからピエロになるよ。


あっこの話を聞いたせいであなたが同じ呪いにかかっても責任は取りません。
呪いと感じるか贈り物と感じるかは自分次第だけど。

 

おしまい