約7年にわたり、愛用してきたカメラ、
Leica M-P TYP240が、ついにお亡くなりになりました。
症状としては、シャッタースピードダイヤルが物理的に回らくなるというもの。
ひとたびオートにしてしまったが最後、オートから切り替えることができなくなりました。
シャッタースピードダイヤルを失った私。
修理する金なんてない。恐ろしく高いだろうな。
以前のように、歩きながら光量を見つつシャッタースピードを設定することは無くなった。
下がるスピード感。スナップにおいては致命的。
でも、レンジファインダーを使うことはできる。
だから首の皮一枚繋がったようなところ。
写真で大事なのは、
何で撮るかではなく、何を撮るかだ
とか言われるが、
私にとっては、
何を何で撮るか、でしかない。
これまでの約7年間を、
妥協のないカメラで、妥協無く撮ってこれたことに
意味があったと言っていい。
禅問答的な話になるが、
私が生きている瞬間のそれぞれを、
ライカを使うことで、遠慮なく残してこれたと思う。
私にとってのライカは、遠慮なく日々を残すことを
どこまでも許容してくれるようなカメラだ。
全然いいぜ、もっと好き勝手撮りなよ。みたいな感じで。
じゃあ遠慮なく…!ってな具合で。
私にとってそういう存在になった。
フルサイズセンサーに、
フルマニュアルを操作する所作に、
レンジファインダーでガラス越しに世界を見ることに、それを見出している。
写真を撮るたびに、結局よぎる。五体満足に動かせない感覚。
それが、私の気持ちを少しだけ遮る。それがそこはかとなく寂しい。
満足にライカを操作できなくなって、どれくらい経ったのだろうか。
1か月くらいか?2か月か?数週間は経っていると思うが、正直あまり記憶がない。
なんとなく、ぼんやりとしていて、よくわからない…
どちらかというと、壊れてしまったのは私の方なのかもしれない。
(明らかに壊れているのはカメラの方だが)
しかし、日々は続いてゆく。
フルマニュアル機を操作する楽しさは半減したが、
今この瞬間、写真を撮らない理由にはならない。
それもまた残酷だ。