歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

「継続は力なり」は、少し嘘だ。


篠野です。ごきげんよう
今日は屁理屈を述べさせてもらうぜ!

皆様、今日も意識高くしていますか?
ということでトピック。

「継続は力なり」を馬鹿正直に信じるな


座右の銘にしている人たちのブチギレ案件持ってきました。
ほれほれ、カモンベイビ~????(煽り下手)

いきなりですが、あなたは、
継続は力なりを信じますか?
どこまで信じていますか?
簡単に鵜呑みにしていませんか?
馬鹿正直って、馬鹿にされていますよ。

「継続は力なり」は100点の言葉ではない


座右の銘にするにはしっかり元ネタを理解してくださいね。
確か「継続は力なり」ってのはどこかの詩集の一説で。
ことわざでも何でもなかった気がする。
昔親に継続はうんたらみたいなこと言われて、それってことわざ?と聞き返した時に濁されて調べたことがある。
インターネットの海に潜って是非とも調べてみて欲しいものですが、願いは人格を作るみたいなこともその中で言ってます。
つまり、力をつけるための継続の原動力になるのは願いですよ、とそんな風に私は受け止めています。
だから単純な「継続は力なり」を信じているだけでは100点ではないと思う。
原動力についても知覚する必要があります。当たり前ですけど。

”力のための継続”と”継続による力”の違い

屁理屈のにおいがプンプンしますねえ~~~???

たとえばこういう人がいるとします。

バンド全然好きじゃないけど伴奏頼まれてキーボードを毎日練習する人。

また一方で、例えばこういう人がいるとします。

バンドが好きで、好きなギタリストに憧れて、自分もかっこよくギターを弾けるようになりたくて、積極的に毎日ギターを弾いている人。

どちらに「より」力がつくと思いますか?
「継続は力なり」は100点じゃないよ。という私の主張はここにあります。

自分で弾けるようになりたくて練習して弾けるようになったギターのフレーズは、今でも弾けるんじゃないですか?
少なくとも私の場合はそうです。
L'Arc〜en〜CielのHONEYリズムギターを自主的に練習して弾けるようになって、5年以上経った今でも未だにコード進行を忘れたことはないです。
でも練習した期間や日数は頼まれて練習した一ヶ月と同じくらい。
対して例えば、頼まれて練習したキーボード、曲を弾けるようになってライブで披露して成功しておしまい。
その時は楽しくて良かったかもしれませんが、だいたいは、そこまで。1年もすれば忘れちゃうんじゃない?
どっちが「力」になっているか。一目瞭然ですよね。後者は成功体験として案件クローズしてしまっています。




うーーん。



少し観点がずれているかもしれない。
後者は力のための継続じゃないかもしれない。
まあなんか自分なりに当てはめて考えてみてよ。(適当)


例えばそこそこタッパのある私はよくバスケに誘われて練習してゴール下とか任されるのですが、、、、
うーーん。これも違うかな。


180㎝欲しかったなぁ。惜しいなという感覚がずーっとある。(自慢)

ゴールは定めない方がいい

ゴールを定めてしまうと、それ以上の成長がありません。
でもみんな目標って立てるよね?なぜでしょうか。
答えは、「頑張りたくないから」です。
頑張るのは苦なんですよ。阿闍梨にでもなるんかい?




突然だが、すこしだけスピリチュアルに話すぜ、、、


将来、頑張らないために頑張ると言うのは、
先述した、「人格を形成するための願い」にしては不十分だと思いませんか?
不十分な願いから、継続してついた「力」なんて、ぶっちゃけたかが知れています。



以上だぜ…。

結局「好き」には敵わない

ここです。本当にその人にとって「力」になることというのは、その人が好きかどうかに依存し、力の付き方に大きく左右されます。
私は好きなギターで、自分の感情を全て曲にするという目標が、

ありませ~~~ん!




別に目標はありません。
でも毎日ギターを弾いて、色々なアーティストの曲を思い立ったように弾いて、その都度「意外と簡単だな」とガッカリしたり、「簡単に聞こえてあり得ない難易度」にぶち当たってギャーギャー言いながら弾けるようになるのが楽しいから、毎日ギターを弾いています。
そういう日常の中で、例えば自分の考えを曲にして名曲が出来上がったなと自己満足できるのも、ギターライフにおけるスパイスです。

私は大学で軽音楽サークルにいましたが、今も楽器を弾いている人ってどれくらいいるんだろう、という感じです。
私は性懲りも無く毎日ギターを触っているので、大学時代よりもギターは上手いし、バラエティに富んだ曲も作れるようになりました。

ギタースキルとしては、確実に力になっていますが、私は力をつけようと思って継続したわけではありません。

継続したかったから継続したわけでもありません。

肝はここにあると思います。
願いよりも、継続よりも、好きこそが力となる最たる原動力になるのでは、と信じます。

自分の好きに気付けていない癖に好きでもないことを継続すんな。


まあ好きじゃないものも継続すれば好きになることもあるだろうけど。
嫌いなことの継続って拷問じゃない?
その時点で継続しない方がいいよ。気がついたら継続しちゃっていたことが、ほかにもあるはず。


あなたは、気がついたら継続しちゃっていたくらい好きなものって、なにがありますか?


なんでもいいから、それを継続してみてください。
その力を見くびらない方がいいぜ。




食べるのが好きとかは、考え直した方がいいかもしれないけど、、、


けど、俺はお前の好きを否定しねえぜ!!食え!(牛丼)







ウ~~~~~~


マンボウ!!!!























そんな論点の整わないカス雑記でした。


何か得たものはありましたか?
私はありません。



おしまい。