という話なんですけど。
事の顛末を話すと、
まあなんかワールドカップやってるじゃないですか。
で、初戦はドイツに歴史的勝利を収めた、と。
もちろん気持ちは「オメ」って感じですけど、
例えば渋谷のスクランブル交差点で
大騒ぎしていたわけじゃないですか。
サポーターの人たちが。
で、なんか私は思っちゃうんですよ。
「自分のことのように大騒ぎしてるよなあ」
って。
そりゃもちろん、日本のサッカーチームが
日本の代表として戦っているわけだから、
多少なりの当事者意識は芽生えているにしろですよ?
そんな、なんか、
自分が宝くじ当てた、みたいな大喜びを、なんでできるの?
と疑問に思ってしまう。
そんな自分が、ちょっと寂しい。
逆も然りで、
コスタリカに負けちゃったときも、
みんな自分のことのようにガッカリしていて、
ある人は怒ったりして、偉い。
なんでだろうと考えた時に、
まあ思いつくのは、
私の人生の中で、
期待を裏切られてきた経験が多分あって、
それから身を守るために
最初から期待しなくなったことの
弊害になっちゃったのかなとか思ったり。
逆に自分が認められてきた経験が少なくて、
というかそういう場面において「認めて貰えた!」という体感が出来ていなくて、
結果、裏返しで何にも期待できなくなったのかなとか。
結果さ、
な~んにも考えないで
全身全霊で喜怒哀楽を表現できる人がさ、
幸せそうだなと思うんですよ。
生きている中で何かがあって、
人間の思考の浅さを嫌悪するようになって
反面教師的に自分の熟考癖がついて、
どっちが幸せかねえ、という問いに対して
そう考えちゃうようになったし、
憧れている、という感じ。
人生は、”ないものねだり”なんだなあと
4年に1回、痛感する篠野でした。
おしまい。