歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

【体験談】夢日記は本当に気が狂うのか。

夢日記


夢日記とは、その日見た夢の内容を出来限り記録すること。夢日記を書くことはおすすめしない。

やってみようという好奇心は素晴らしいものだが、
危険信号を受信するアンテナはしっかり張っておくべきだ。
「もうこれ以上は辞めよう」と思える自制心に自信があれば、自己責任でやってみるといい。

これから、私が夢日記を約半年(期間は曖昧)続けた際のことを思い出しながら、
順を追ってどうなったか、実体験を書いていく。

夢の内容を覚えている範囲で記録する。


やることは単純。
朝起きた時に、見た夢の内容を覚えていたら書いていく。

その当時、記録にはアプリを使っていた。今はもうないので
ガチで夢日記を書いていた証拠を見せられないのが残念。

始めたすぐの頃は、ほとんど書けない。

記録のスピード感は重要で、アプリに求める要素としても、
起きたらすぐに書けることが重要だった。
起きて、覚えていたら、忘れる前に、書く。
それを繰り返した。
書けていた内容は、
おそらく

降っていた雨が止んだ


くらいの詳細度。

覚えられる内容が増えていく。


今までは「降っていた雨が止んだ」 程度でしか覚えていられなかった内容が、
前後関係を覚えていられるようになってくる。
例えば「降っていた雨が止んだ」夢だとすると、

学芸会。リコーダーの当番なのを忘れていた。
降っていた雨が止んだ。
夜ではなかった。



こんな感じだ。

詳細度が上がっていく。

よく夢を見るようになる。


人間は毎日夢を何かしら見ていて、
それを覚えているかどうかの違いしかないという話も知っているが、
それにしても毎日と言っていいほど夢を見るようになる。
この辺りから楽しくなってくる。

寝不足になる。


シンプルに毎日夢を見ている(よく覚えている)ため、
ぐっすり寝た気がしない。

会話や「どう感じたか」などの感情の記録が増える。


個人的には、夢日記を始めてから明らかな変化として、
このことをよく覚えている。

明らかに、日記の内容に感想が増えていった。

「降っていた雨が止んだ」夢を例に挙げるならば、

学芸会に来ていた。リコーダー当番なのを忘れていた。
「ギターなら弾けるのに」と思っていたら、
「口で吹くタイプのギターならあるよ」とクラスメイトが教えてくれて、
「これでいいじゃん」と思った。
降っていた雨が止んでいて、逆に「さっきまで晴れていたのに」と思った。
英語でなにか話しかけられた。
「夜ではないよ」みたいなことを言っていた気がするが、
翻訳はできるが意味を理解できなかったことは覚えている。




こんな感じ。
次第に日記の行数が増えていく。

詳細度がさらに上がり、夢の内容が支離滅裂ではなくなってくる。



詳細度が結構上がってくる。
内容も支離滅裂ではなくなってきて、
一貫性があるような感じに。

この記事を書きながら、
古いスマートフォンを見てみたら当時の夢日記の下書きを発見した。
一言一句同じものを載せてみる。
支離滅裂さが少ないため、
それなりに継続してきた、ちょうどこの頃の日記だと推測する。

3日後に誰もいなくなってしまう夢を見て、
その3日前の会話、行動を記憶したまま、3日前に起床して、
そこから友達の行動、言動を確かめながら正夢になるのかを確かめていった。
3日後に誰もいなくなってしまうということは最後まで思い出せていなかった。
3日目に突入する直前で爆発と地割れが起こり、目が覚めた。



当時のガチ日記を見て思い出した、
明らかな変化点がもう一つ。

夢の内容を俯瞰して振り返ることができる。


さきほどのガチ日記に書いてあった、
"3日後に誰もいなくなってしまうということは最後まで思い出せていなかった。"
というのは、"日記を書く時の私の主観" だ。
「思い返せば、なんで重要なこと(3日後に誰もいなくなること)を覚えてなかったんだろう」と思い、
それを書いたのだと思われる。

この日記の5行の間で大事なことは、

1行目:夢の中で起きた出来事
2行目:夢の中で起きた出来事
3行目:夢の中で起きた出来事
4行目:起床後に夢を整理して気づいたこと
5行目:夢の中で起きた出来事

強調したいのは、

夢の中で起きた出来事の中に、
起床後に整理して気づいたことを
日記の中に織り込んでいる。

ということだ。

夢での出来事を現実の記憶として使い始める。


ついに日常に支障を少しずつきたすようになってくる。

だいたい2%くらいの確率で、
夢の中の会話を「〇〇って言ってたからさ…」と
時々口にしてしまう。

その他98%は、
(あれ?確か〇〇ってってたよな、いやあれ夢か)
と自己完結する。

不思議な感覚だ、と楽しむ反面、
少し怖くなってくる。

悪夢が増える。


その文字通り、悪夢が結構増えてくる。
しっかり覚えているので、
割と生々しいこともある。

折れた腕から骨っぽいのが覗いているのがわかる、
激痛に脂汗をかきながらも耐えながら走る



くらいの。誇張はない。

死ぬ夢とか、
板に磔にされたままニューヨーク並みの高層ビルから突き落とされたり、
ハリケーンに巻き込まれて中でいろんなものにぶつかったり、
高校時代の担任の教師に学校の屋上で拷問をされたり。(なぜ高校教師なのか)
無罪を証明しようにも喉を切られて喋れなくて泣いたり。

起きたら
「はぁ…」とため息つきたくなる夢が増えてきた。

これ以上は危険と判断し、中断。


たぶん、危険と判断したと言うか、
飽きたのか、もう十分体験したなと思ったからなのか、
気がついたら夢日記を書くのをやめていた。

夢日記は気が狂うのか。


夢日記は気が狂うから危険」
という話はよく聞く。
日本三大奇書のひとつ、ドグラ・マグラかよ。



現実はおそらくこうだ。
三者からの目線で言わせてもらうなら、
自分の友人が、全く自分が言った覚えのないことを
「〇〇って言ってたからさ〜」と
さも当然の記憶のように話をしてくることが増えると、
(え…狂った…?)
と思われても仕方ない気がする。

当事者は、夢のことを話しているという自覚がない、
それ自体が、「気が狂う」に片足突っ込んでいると言ってもいいかもしれない。

私は夢日記を続けたことで、
悪夢を多く見るようになったので、
たとえば夢の中で友人に罵詈雑言を浴びせられて、
結果現実でも人間不信になってしまう、
みたいなことはあり得そうだなと思う。

今でも夢と現実をごちゃ混ぜにすることがある。


夢日記をつけていた経験から数年経った今でも、
夢の内容を現実の記憶のように話題にすることがたまにある。
っぽい。

私「あの曲好きって言ってたからもう一回聞いたんだけどさ」
妻「言ってないよべつに」
私「え、じゃあなんの記憶だこれ」

私「チョコパイ嫌いって言ってたからシュークリーム買ってきたよ」
妻「え、チョコパイ好きだけど」
私「え?アルコールっぽい感じが嫌って言ってなかった?」
妻「言ってない」

まるで私が妻を太らせようとしていそうな会話もあるが、
そんなつもりはない。客観的な意見を述べてみたまでだ。
このように、夢の内容だったのかさえ思い出せない記憶が出てきて、
時々困ることもあるが、
まあ別に、気にしていない。


今となっては、
起きている間の意識を保ったまま夢に突入する、
映画インセプションのようなことも
たまに成功する。
成功した時の夢は結構自由自在なので、
本当に楽しい。
が、全く寝た気にはならないので
翌日がしっかりオフの日の夜に行うことをお勧めする。

ちなみに強がりでもなんでもないのだが、
金縛りには、遭い慣れたので、全く怖くない。
月に一回くらいは、金縛りに遭う。
あれは、体が疲れていて、頭が起きている時に見る、
超現実的な夢だ。
だから割と金縛りが起こっても思考次第で楽しめる。


最後に、私の最近の夢日記をお見せして終わろうと思う。
つい最近の、起床した瞬間にX(旧Twitter)でつぶやいた投稿だ。




折りたたんでも脇の下までの高さにしかならないベビーカー
段ボール、届いたが、闇雲に軽く、小さい。
中身が気になるが、同じく気になるのがパンツだ



「パンツだ」!?


おしまい
(「だ」「である」調を使い、堅苦しい記事にしたものの、台無し)