歓喜天倶楽部

日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

純文学と年末。




これまで私がこの歓喜天日記で小説の話をしたことがないのは、私が文学的じゃないことを露呈してしまうのが怖いからなのかもしれなくて。
ひとたび私が小説家をオススメしようものなら、文化人気取りの悪い大人に葉巻を吹かされながら「そんなんじゃ未熟だ!」と言われてしまう気がして、好きなように文字をつらつらと書けるブログだからこそ言えないという感覚になっているのかもしれないなと。ブログと小説は本当に紙一重のところにいると勝手に私は思っているので、そういうい場で小説のことを語ることが少し勝手に怖いと思っている。小説を勧める活字を読ませるくらいならその小説を読んでもらった方が良いんじゃないの?という感じ。

少なくとも小説を読むという行為は好きだけど、いかんせん消費カロリーが高くて仕方がない。漫画さえペラペラと読むの、めんどくさいもん。スマホだってフリック入力めんどくさい。パソコンが楽。

少し小説の話をすると、私は伊坂幸太郎の作品がマジで好きです。映画も伏線回収するサスペンス系が好きなので、伊坂幸太郎の伏線回収劇は映画を見ているような気分で読み進められるから、伊坂幸太郎の本ばかりよ読む挙句、伊坂幸太郎以外の作品に触れることが殆どなかった。
何年も前の作品だけど「SOSの猿」という作品が本当に良く出来ていて、後にも先にもこれ以上はないな、と思ってしまった結果、伊坂幸太郎の新作を待つこともやめて、小説はそれっきりになった。
この話はまたいずれしたいなとかビビっているくせに性懲りもなく思っていて、世間の評価が低いこともあってか、「SOSの猿」だけはオススメ記事に仕立てようかなとか思っている。なので3回言っとくことにしよう。「SOSの猿」は読め。「SOSの猿」は読め。「SOSの猿」は読め。あースッキリ。なんだこれ。

こういうのって、音楽とかすべての娯楽において同じことが言えるわけで、もしかすると私が一番好きなバンドも「もうこれ以上ない傑作が出た」と思ってしまったら、ファンを辞めてしまう可能性だってある。
私にとっての心の拠り所が素晴らしい功績を残してしまう事は、ある種怖いものでもあるのかなとか思ったり。私から離れていってしまうから。実際は私が離れているのにね。

とかいう中で、会社の年が近い友人に「純文学に興味がある」という話をした。小説を紙媒体でペラペラと読む行為自体は嫌いじゃないから、なんか読みたい気分だった。伊坂以外で。知らないことを知りたかった。それなら本を読むでも良いと思った。カロリー高いけど。

そうしたら、村上春樹だとか太宰治だとか三島由紀夫だとかを貸してくれた。今は三島由紀夫の「金閣寺」をぽつぽつと読んでいる。代わりに私は読んだことがないらしいので伊坂幸太郎の「死神の精度」と「SOSの猿」を貸した。若々しい本だなと思われてしまうかもしれないけど、彼には割と私の思考や感性のあれこれを話してきたので、まあ読んでくれるんじゃないかなとか思ってる。趣味がマジで合う。自分も鬼のように多趣味だという自負があったけど彼の前では少し押し敗ける。多肉植物のことはわからん。さすがに。その代わり音楽の知識量で圧勝しておくことで結果トントン。

貸したとはいえ、読んでくれた後に感想を話されてもぶっちゃけ内容はあんまり覚えてない。大好きになった傑作も、時が経てば意外と覚えていないものだなあとか思う。

かくいう私にとっては伊坂幸太郎以外の作品を手に取り、ゆっくりとした年末を過ごすことが確約された、明らかに新しい年末を過ごすことになる。思春期だとかそういう多感な時期をとっくに終えたというのに、未だにそういう変化が人生に巻き起こることがちょっとだけ嬉しい。そういう話。