歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

【人生初の同窓会】中学の同窓会に行ってきた話。

人生初の同窓会に行ってきた話。

先日、中学校の同窓会に行ってきた。
中学校が海外にあったということもあり、開催場所は東京。丸の内にて。

今思えば、同窓会に参加するのは初めての体験だった。
人生の半分以上の時間を会わずに過ごした人と再会することになる。
同窓会ってどれもそんなもんなのかな。

人数が集まらなかったからか、主催者が言うにはラフな会とのことだった。
無理もない。海外の中学校の元クラスメイトが日本に住んでいるとは限らないし、仮に日本で暮らしていたとしても全国に散り散りになっている。
現に私も帰国してからは静岡→名古屋→名古屋→春日井市→静岡と、
主に東海地方を転々としているわけで。
ラフな会であることと、
同窓会に参加したことがない=同窓会のTPOについて無知であることが相まって、
スーツだけでは自己表現がもはや出来ないまでに古着偏愛に取り憑かれた私は、
嬉々として全身に古着を纏うことにした。

エストが50インチもあるバカデカいデニムのカーゴパンツ
ベルトでガンガンに絞ってスラックスのようなタックを作り、
そこにパッチワーク仕立てのレザージャケット羽織るなどし、
ここぞとばかりにヴィンテージを身に纏って参加した。
古着文化って案外浸透してないものなのかもしれない。
参加者全員古着だと思ってた。
結果として「東海の風が吹いてるよ」なんて言われたのはまた別のお話。

肩まで伸びていた髪は少し切り、引き続きツイストパーマをかけてもらった。
あろうことかボブヘアーになった。

髪型だけ見たら洒落た女だ。髪型だけ、やたら可愛い。
くるくるでふわふわ。つやつやできらきら。うきうきなアタシ。

ちなみにこれでパンキ(一般企業)の会社員である。外見の自由度に寛容な弊社に感謝したい。

あとは中学の頃から続けている指スケとか、覚えている限りの思い出の品を携えて、
イカで東京駅からスナップをしながら会場へ歩いた。


実際、誰が参加するのかは知らないし、
自分が覚えている人、そうでない人が入り混じるだろう。
またそれは相手にとっての自分も同様である。
お互いが微妙に覚えていない状態で対峙した時、
どんな気遣い合戦が繰り広げられるだろうか。
何度苦笑いすればよいだろうか…
そう思うと、行くと言った手前、少し面倒だなとも思った。

それでも、会いたい人はいた。

誰だってそうだと思うが、
その当時、毎日のように一緒にいた友人に会いたいからに他ならなかった。
いわば親友というやつ。彼が来るかどうかは知らなかった。

受付に顔を出すと、古着やパーマヘアも相まって「誰?」感が漂った。
名乗ると、「音響の業者かと思った」「業者のカメラマンかと思った」と言われる。
え、そんなに会社員に見えない?バイアス強くない?
もしかして世間のバイアスよりも私の癖のほうが強い?

私が会いたい人は、来ていない。

糸を手繰り寄せるように昔話をする。
私の記憶に最も濃く残っているのは私含め4人だ。なんで自分を含んだんだ。
何をするにも一緒に遊んでいた記憶がある。
モンハンを狂ったように遊んでいた気がする。
夏はマンションのプールで遊んだり、
マンションのプレイルームでビリヤードしたり卓球したりスカッシュしたりした仲。

え…?高級マンションすぎないか?
いろいろと価値が分かる年齢になってくると、
設備の充実っぷりのえげつなさが脳天に染みる。落ち着け。嘘みたいな話だがマジだ。
ビリヤード場も卓球台もジムもプールもスカッシュコートもプレイルームも空中庭園もあった。マジ。
49階建てのマンションが2棟立ってて、渡り廊下含めて全エリアで壮大なかくれんぼをしたもん。マジで。
テニスコートとバスケコートは無かったと思う。すぐ上の公園にあったし。
家賃がいくらしたか、数年前に教えてもらったけど忘れた。

移住というものに不安は付き物で、
オートロックが完備されていて、
ウォッチマン(エントランスで怪しい人の侵入を守ってくれる人)が
居るようなマンションに日本人は安心を求めて住む。多少高くても。
そして日本人が多いマンションには、当たり前だが日本人が集まってくる。
マンション内に遊ぶ施設が充実していたなら、
子供がマンションの外に遊びに出かけない。
言葉の通じない国で言葉の通じない我が子が異国で迷子になるなんて、
からしてみたら不安で朝も起きれない出来事だろう。
それが防げるのなら、親にとってはこの上ない安心だ。
不安で夜も眠れません、だろうが。朝は起きろ。


少し話が逸れてしまったが、私の記憶に色濃く残っている友人は、
今思えば現在の私の人格を色濃く形成している友人でもあった。
洋楽をたくさん聴くようになったのも、
GLAYよりL'Arc~en~Cielを好んで聴いていたのも、
指スケを教えてもらったのも、転じて趣味が多くなったのも、
結局はこの頃に始まったように思う。

携帯電話を持たない小学生同士、当時フェイスブックでやり取りをしていなかったら、
あの時、HMVMy Chemical RomanceのCDを買いに行っていなかったら、
もしかするとギターを始めていなかったかもしれない。
音楽を好きになっていなかったら出会わなかった大学の友人や妻。
中学校の頃の原体験はしっかりと今の私まで引き継がれている。
今の私にはそういう自覚があった。

受付を済ませて少しすると、私が会いたかった親友がやってきた。
それも、一緒に四六時中モンハンをやっていた友人を一人連れて。
ガラスの扉の向こうで私に気づいた彼は何だか嬉しそうに指を差した。
あの高揚感は中々忘れられない。

それからのことは正直なところあまり覚えていない。
同窓会に集まった当時のクラスメイト達と再会を交わし、
これまでどういう人生を歩んできたかを語り合った。

多分まあ、修学旅行が北京とか上海だったから、
日本の中学生の定番の修学旅行先こと京都や奈良に行ったことが無くて、
高校で話通じないよねとか、そういう他愛ないもの。

あと自分の記憶にない歌が自分の口から出てきてキモかった。
マジで「えっなにこれ自分でもわからない…」ってこと起きた。
さながらショタガキ。
「なんか分からないけど白いおしっこが出てきて…」じゃねェんじゃ。
それ精通って言うんやで。エロいお姉さんが教えてくれたんとちゃうんか。

それはそうと、どんな話をしたのかよりも鮮明に印象を受けたことがある。
印象を受けたこと、というか、感動に近いものだ。
それについて少し話して、この記事を締めようと思う。

学校外では一緒に遊ぶことはなかったが、
同じ塾に通っていた人。同じマンションに住んでいた人。
いろんな人と再会したわけだが、
当時どんなことをしていたかとか、
どういう絡み方をしていたかとか、
そういうことはお互い思い出せないことも多かった。
でも、そんなこと思い出す必要はなかったのだろうと今となって思う。

15年以上の時が経ち、当たり前のように変わったことや、
変わってしまったことがある中で、
たとえば、ふとした時に笑いを吹き出すときの声のトーンとか、
たとえば、好きなものを語るときの喋り方。
自分の無意識化に残っていたらしい誰かの特徴。
そういったものがリバイバルされたとき、
私は言いようのない感動を覚えた。

ふとした時に気を遣ってくれるところ、
話をするときの「うん」と相槌を打つタイミングが絶妙で聞き上手なところ、

変わらないでいてほしいとかそんな考えさえも風化する時間を経て、
すっかり忘れていたころに一番会いたかった友人の個性ともいえる
そんな特徴に出くわして、震えた。

私はとにかく嬉しくなって、
俺は君に会いたくて来たとか、そんな小っ恥ずかしいことも伝えた。


箱を開けてみると、県外から今回の同窓会に参加したのは、私だけだったようだ。
静岡には妻が待っているので、私は語り足りなさから駆り立てたれる
一泊したい気持ちを必死に堪え、
再会を約束して一人途中で退出し帰路についた。


この話の一番伝えたい部分

要約すると、
「変わっちまったこともあるけど、全然変わんね~な!」
ってことなのだが、そんな生易しい感情ではなかった。

私は今まで感じたことのないデカイ喜びに震えながら新幹線に乗った。

この半生をどう歩んできたかを語る時間。
変わってしまったもの悲しさと、
変わらないものがあるという発見と。
私が関わらなかった年月にどんな経験をしたのかを聞き、
それに思いを馳せること。
それのすべてがその人を形成し、今のその人たりえること。

もっと格好つけて言うなら、
一分一秒の経験や感情の積み重ねとその集合体がその人であること。
これを身をもって体感した一日だった。
小手先で考えたことはもちろんあったが、
外的要因でこの事実を突き付けられた経験はこれが初めてだった。
きっと、だから私はひどく感動したのだろう。


その人それぞれに経験があり、それだけの時間がある。

それがたまたま、同窓会というイベントで一点に交わったがために
互いの時間を語り合った。ただそれだけなのに。
なんだろうこの気持ちは。この冷静の中にある高揚感は。
今まで感じたことのない感情に出会った喜びだろうか。

人生は、なんて美しいのだろうか。
本当に、なんて美しいのだろうか。


私はこの同窓会を経て、
私の人生はもっと豊かになるのではないか?
という安心に似た感情を得ることができた。

これこそが、「生きていてよかった」という感情かもしれない。

もっと酔っ払っていたら、泣いてたかもしれないな。