歓喜天倶楽部

歓喜天倶楽部

日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

約束はできるだけしない。

こんにちは。篠野です。
今日はたっぷり病ませてもらうぜ。

まあ、私の尊厳が地に堕ちてしまったことは周知の事実だと思うんですけど、
こうも尊厳が足りなくなると、自信というものがことごとく無くなっちゃうんですよ。
だから私は365日自信がないんですよぉ~。

そうなると、どうなるかって言うと、
あのですね、約束というか、「これをやります」って言い切ることが出来なくなっちゃうんですよ。

例えば仕事でも、「やります」って言うと、
「やるかどうかじゃなくて出来るかどうかを答えろ」って怒られてきたので、高すぎる目標だとか非現実的な評価目標を立てて、というか、出来そうなことを書くと「そんなの誰でもできる」って言われて訂正されるから泣く泣く作り直して結果そうなるんだけど、箱を開けてみた時に、達成できないと「やっぱりできなかったじゃねえか」って言われちゃうわけ。「がっかりだよ」って。出来ることを書くともっと高みを目指せって言うし、出来ることを目標にしろって言うし、何なのよ。

でね、小学生の私の感性が今の私に言うのよ。

「お前、Disabledじゃん。」
って。

すみません。これは本当に差別用語で、
諸々の障害を抱えている人のことを
Dis(否定)able(できる)で、
Disable(できない人)って言います。
理解した上で、確実に使わないようにしてください。

で、こういう失敗体験をすると、いつも過去の自分に笑われてしまうんです。
私は、障害を抱えている方々と、なにも違わないよ。
寧ろ先天的ハンディキャップでもなく、自分の意思や選択でこうなったんだから、たちが悪いよね、もうDisabled以下なんだな、と。

こうも失敗体験を強要され続けて、積み上がり過ぎると、最初はいいけど、そのうち、
それをバネにして…成功体験を…!
みたいなマインドには、もうならないんですよね。


ただの自信喪失。尊厳の失墜。

そうすると負のループというのがマジで始まってしまって、出来ないことがどんどんと増えていくんですよ。元々出来ていた事なのにね。これも、できてないんじゃないか?という気持ちになった途端、もう投げ出す癖がついてしまうんですよね。いくら成功体験があっても、上書きはされないのよ。


部屋の定期的な掃除、ゴミ捨てができない。
料理は得意だったのにもう自炊ができない。
電気ケトルでお湯を沸かすことができない。
寝るだけのためにベッドまで移動できない。
人をちゃんと心から愛することもできない。


怠惰の塊だと思うでしょう。
そうですね。怠惰かもしれません。
でももう、別にいいんですよ。
怠惰だなとか、自分に酔ってるとか、
気違いだなとか、どんなふうにがっかりされようが、
それは全部私だもん。

改善を諦めて、受け入れ始めてしまったことが
まさしく、
私としての終わりです。

だから、私はできるだけ約束をしません。
守れる自信もなければ、守る気が自分にあるのかさえわからないので。

できないことを言うのは、嘘だからとても簡単だけど、
私と関わってくれる人にとっては、私の尊厳が死んでしまっていることは関係ない。
だから、私の自分勝手で人を傷つけるような行為にならないように絶対に振る舞いたいし、他人を裏切らないことだけは、どうにか死守したいと思ってるんですよ。
この自意識があることが、せめてもの救いです。
これさえも明らかに崩壊してしまったら、
私は家族や友人、関係者各位に謝罪してから首を括って死にます。
死にます。というか、そこまできたら多分もう死ぬしか残されてないんじゃないかな。知らんけど。

だから、この自我を自分で守るために、嘘はつかないようにしてるという。死ぬのは怖いし、死にたくないからね。
その延長線で、今は頑張って定期的にゴミ出ししてるし、たまに料理を頑張ってやるし、頑張ってケトルにお湯を入れてお湯が沸くまで頑張って待つし(気持ち的には5秒も待てない)、寝るときベッドまで頑張って行くし、頑張って嫁を愛してあげなくちゃと思っています。


でも、約束はできないです。
約束をした途端、この頑張りが成り立たなくなってしまう気がするから。

このブログだっていつか更新は止まりますよ。
約束はできません。尊厳の足りない私の辞書に約束という二文字は存在しないのですハハハ。


継続出来ているじゃないか、って?



あはは。なーんもわかっていないんだから。


そりゃそうか。わからないほうがいいよ。






皆様は、幸せになるために、どうか、のうのうと生きてください。




おしまい。