歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

写真を撮ることについて言葉の側面から考えてみる。



カメラ好き、写真好きの皆様、こんにちは。

突然ですが私は大学で認知言語学を学んでいました。
未だに趣味で作詞作曲をやったりしています。



認知言語学のゼミはマジで興味深いと思っていたし、
直喩や暗喩、提喩なんかを使って詞を作っていく行為は未だに飽きがこない。



………。

え、まえがき二人で書いてる?
「つーかさ、」から続く愚痴めいた話が魔王城に最も近い集落くらい暗いんですけど。F22かよ。
突然客観的にみて「え、自分、暗…」って引いちゃう。躁鬱?


それはそうとして、
「実は俺、言葉、好きなんじゃね?」って思ってきまして。
そして私が好きなことに「写真、カメラ」というものがありまして。


そして今回は、
なんだかんだ400記事近く書いといて未だに
このテーマを取り上げなかったこと自体驚きなのですが、
「写真を撮る」ということについて言語の側面から意味を考えていこうという話です。

ロマンを感じながら、読んでくれると本望です。

バチバチにナードでディープな話題になるから、
覚悟して読んでくれよな!!!!
損はさせないぞ!そこのカメラ好きの君!!



ってことで今日の目次。



では、お手柔らかに。

「写真」って何?



はじめに、「写真」って英語でなんて言います?
え?インスタグラム?殴ってもいいですか?
主流なのは"Picture"ですよね。
ま、それはまた後で話すとして、そもそもの話をします。

「写真」って何だと思いますか?

まず、
「写真」というのは日本語ですよね。

「当たり前で草w」と思うでしょ?
でもね、そこから考えていくのが楽しいんですよ。

…と、思っていたが違うようでした。

「写真」ということば ──「写真」の語源について/笠井 享 - 日刊デジクリによると、

『箱の内に硝子の鏡を仕掛け、山水人物をうつし描ける器、かの地にて写真鏡とよべるものあり。』


なんつー西洋の情報を書いた文献が1700年代にあって、
さらには、「写真」という言葉自体はさらに大昔の
中国明帝時代(1300年代)の漢書にも残っているらしい。

このころ(1300年代当時)の「写真」とは、
真(身分の高い人の姿)を写す(そっくりそのままに描く)
という使われ方だったようです。

つまり今ある言葉を使えば、肖像画ですね。
どんな絵画でも人の姿を描いている肖像画
全てその当時は「写真」と呼ばれていた
わけです。

この話は「なんか聞いたことあるな~」って人もいるんじゃないでしょうか。
高校生の頃、美術の先生が言ってたような気がする。記憶捏造してるかもしれないけど。

ここまでは「写真」という語源の話。

西洋のほうに視点を変えると、

1839年、世界初のカメラたるものが発明された年に、
"Photograph"という言葉がイギリスで生まれたとされています。
気になる人は「ダゲレオタイプ」で検索検索ゥ~!

おっと、間違わないでほしいのは、それまで中国やらで使われてきた「写真」てのは「人の絵を描く」っていう意味だから。まだカメラ存在しないから。


で、Photographの語源。フォトグラフね。

photoとgraphの2つの単語の組み合わせからできている単語。
だいたい英語の語源は往々にしてギリシャ語なんだけど、
ざっくり言えば、
Photoってのは「光」。Graphってのは「書いたもの」という意味です。

つまり「光で書いたもの」という意味になります。

ちなみにコンペイトウってのはポルトガル語だから。どうでもいいと思うけど。

初めてカメラが発明され、今では写真と呼ばれるそれが生まれたとき、その名を"Photograph"としたわけですが、
日本には馴染まず、いろんな候補(「光画」とか)を紆余曲折した挙句、
結局「写真」という言葉が採用されたらしい。

意味全然違うのにね!!!

日本では「写真」
イギリスでは"Photograph"

一方そのころ江戸時代の日本。俳句が今アツいと大バズり。
言葉の奥行きを研究するようになって、
言葉が含有するもの、いわゆるジャパニーズWABI-SABIが大流行。
今風に言えば「エモい」。

そんな日本人のエモの標的にされたのが「写真」というワード。

当時のギャル男(松尾芭蕉や与謝野蕪村)たちが
「”写真”って真(まこと)を写すものじゃね?エモ~!」
とか言ったからその意味合いが広まったんだと思う。
ていうか歴史も証明してるけど日本人の気質なのかな、
言葉の意味を考える癖みたいなものって。
実際私もこうやって言葉が内包する意味について話しているわけだし。楽しいよね、こういうの。

そして現代でも未だに、「真実を写すと書いて写真」と思っている人も少なくないと思います。
ってか普通日本人ならそう思う。
俺たちみんなリトル松尾芭蕉ってワケ。

令和ギャル男に
「ッてかそれ、時代遅れじゃない?270年も前の話じゃ~ん!」
って言われちゃいますよ。
間違った考えであることを知ることは意味のあることだと思います!

こういう言葉が内包するエモって、いろんなところでも散見されていて、
カメラメーカーのニコン
「仏教の禅語の「而今(今この瞬間)」という意味から来てるやん!エモ~!」
みたいなムーブメントがありましたが、「日本光学」という意味だし、
写真も「肖像画」って意味なんですよ。

事実というものは思ったよりもドラマチックではないですね。
胸に焼き付けておきましょう。あとでそのネガ暗室に持ってこ。


ここまで理解がすすむと、
Pictureに写真って意味を付けたの日本人なんじゃね?とすら思っちゃいませんか?
実際は知らん。正直後出しの言葉だし語源から結構的外れなのでどうでもいいです。

絵具で描くという語源を持つPictureって、(肖像画の方の)「写真」じゃん!エモ(以下略)

とでも思ったんでしょうか。

Photographも写真だし、
Pictureも写真だが、
全然違う「写真」であることは、
わかっていただけましたでしょうか。


もう少し続きます。今4合目くらい。
ほらほらもっと頭をフル回転させて!
脳をシワシワにして気持ちよくなろうぜ!
もっと出力上げていくよ!ファイト!

"Photograph"から考える写真について



※ここで使う「写真」は現代の意味での「写真」です。

では、カメラが発明された当初に生まれたPhotographという言葉が起源であることが分かりましたね。
ではこのPhotographを写真という言葉の神とすれば、
こういうことを考えられると思います。

真実を写すことは、別に写真ではない。

先ほども述べた通り、Photograph的な写真は、
光で書いたものという意味なので、
真実であるかどうかは言及されていません。

見たままを写す、というのは、別に写真そのものでも何でもないわけです。

光で書いた結果、
「アレ!?見たままじゃね!?真実を写した~!」と私たちが喜んでる、
それだけのことだと。一言で言えば、杞憂。


そもそも、真実って何でしょうか?
光が私たちに見せているものが真実である証拠って無くないですか?
光の性質について軽く勉強してみたら私が言いたいことが分かるかと思います。

ここで光の持つ、この世の根底を覆すヤバすぎる性質について一行で触れておきますので、
興味を持った人は調べてみてください。

光は、私たちが見ているかどうかでその振る舞い(形や動き)を変える。



さて、話は戻って、
写真というもの、Photographは、
語源の時点で真実かどうか(≒正解かどうか)なんて言及していないのだから、
写真に正解はないってことが言えるのではないかと思います。

哲学的アプローチになりますが、
腑に落ちる方も多いかと思います。
なのでこの考えは正としてよいのではないでしょうか。

「写真を撮る」とは。「Take」「Shoot」の違い。



さて、ここからは少しステップアップして話を進めていきます。
先ほど冒頭で、私は認知言語学を先行していたという話をしました。

認知言語学というのは、
人間がどのように言葉を用いて意味を表現するのか、
これを言語や思考、心の状態から紐解いていく研究分野になります。
人間の認知の過程がどのように言語に影響をもたらすのか
これを研究する学問です。

小難しく聞こえるかもしれませんが、
例文をいくつか挙げましょう。

・彼女のSNSが炎上した。
・マックまじで美味いよな~。
・二人で花見をした。

これらは、いろんなタイプの比喩表現を使われた文章です。
それぞれメタファー、メトニミー、シネクドキという手法です。

SNSに火の手が上がっているわけではないし、
実際にマクドナルドを食べるわけではないし、
桜を見るのに「花見」という言葉を使います。

それでも意味が伝わり、私たちが平然とそういう言葉を用いるのは、
人間の認知の影響によるものが大きいのだ!と仮定し、
では具体的にどんな影響によるものなのか。そんな研究です。

先の例文を一つピックアップすると、
SNSは火のメタファーである」ということができます。
メタファー=暗喩(”~のような”を使わない比喩)
と認識していただければOKです。

それは、SNSで問題発言をして炎上する様子と、
火が燃える様子に共通項があるから、という考え方ができます。

その様子というのは、私たちが認知しているもののことで、
常識とか、知識や経験で予測できる予想とか、そういう認知のレベルでOKです。
少し紐解きます。
カメラの話ではなくて申し訳ないですが、比較しながら読んでください。

SNSで問題発言をすると、
・気に障った人が怒る(血圧が上昇する)
・たくさんの人に伝播していく
・結果、たくさんの人の目に留まり、騒がしい

そして例えば、家が火事になると、
・家の周りの気温が上昇する
・火が近くの家や植物に燃え移る
・結果、たくさんの人が集まり、騒がしい

こういった共通点があると思います。
他にも共通項が人によっていろいろ出てくるでしょう。

大事なのは、
SNSで問題発言があってモメる様子を
火事に見立てた人が居て、「炎上」という言葉を使い、
火事の認識を持っていた人たちがその様子を見てその暗喩にしっくりきた。
だから炎上という単語が使われるようになったと考えることができる、ということです。

説明も挟みながらでしたので、長くなりましたが、
人間の認知による側面から言葉は使われることが多いんだよ~ということを
念頭に置いて頂ければOKです。
そして、それを前提に本題に入ります。


「写真を撮る」という文章は、英語で
"Take a photo."と言います。
Pictureについて触れていたらもうどんどん長くなるので今日は触れません。

では、なぜTakeという動詞を用いたのでしょうか。

Takeは本来、「手で取る」「つかむ」「抱きかかえる」などといった意味を持ちます。
もっと言えば、
"自分のところに取り込む"という意味が大元になります。
スマホを手に取る=自分のところにないスマホを自分のところに取り込む
という感じです。
これは認知言語学的側面からもわかりやすい動詞になります。


そして、Take a photoに対してTakeが使われたのも、
この”自分のところに取り込む”という要素に共通点を見出したからであると考えられます。

では、"Take a photo"の「写真を撮る」とは、詳しく噛み砕くと、

自分のところにないもの(景色や被写体)を、
自分のところ(手元にあるカメラ)に取り込む

という意味になります。

遠いところにあるものを近いところに取り込む、この体験が
カメラでも追体験できるからTakeという言葉が使われるようになった。
ということになります。これは認知言語学ではイメージスキーマと言います。興味のある方は調べてください。

そのため、Take a photoというのは、
「光(photo)を自分のところへ抱え込む(take)」というような意味にもなるでしょう。
その結果できた画(graph)が写真(Photograph)であると。

ちなみにTakeというのは他動詞なので、目的語が無いと意味を成しませんね。
取り込む目的物が無いと文章としては成り立ちません。
「取る!」←何を?ってなりますよね。
他動詞というのはそういう動詞ということです。

Take a photoについてはどうでしょうか。理解していただけましたでしょうか。

そして、用いられる動詞、もう一つあります。

"Shoot"です。撮影するという意味を持っていますね。

そしてShootの大元の意味は、撃つという意味ですね。
シューティングゲーム。そういう類の。
認知言語学的側面から考えると、元来「撃つ」という意味のShootからは、
「自分のところから外側へ放つ」という意味がある、と考えることができます。イメージスキーマです。
Takeと真逆ですね。
でもShootも「写真を撮る」として使われている。

さて、勘の良い方なら察しが付くと思いますが、
"Shoot"は自動詞になりますので、目的語を持たない動詞となります。
まさしく、シューティングゲームがいい例ですね。
ゾンビを!とか書いてなくても意味が伝わりますよね。
目的語を持たないということは、対象物がどうかというのは重要ではないということとも言えます。
シューティングゲームの本質は、
ゾンビを殺すゲームではなく、撃つゲームだとも言えます。
だからゲーム会社は、ゾンビのグラフィックよりも、シューティングの体験を忠実に表現することに心血を注ぐはずです。

そして、「撮影する」という意味で、"Photo shooting”という英語が使われます。

先ほどのTakeと比較をしてみましょう。


Take a photo
・近くにない対象物を光を用いて自分の近くに取り込む。という意味を含有する。

Photo Shooting
・対象物に対して、光を用いて自分のところから外側へ放つ。という意味を含有する。


どうでしょうか。同じ「写真を撮る」でもこれだけ真逆の意味になります。


面白くなってきた?ついて来れてます?眠い?
今6合目くらいっす。


写真家、萩庭桂太さんの論




日本の知る人ぞ知る写真家、萩庭佳太さんは、こう発言しました。

www.youtube.com



SONYなどの通常の一眼レフカメラは"Take"の方の写真を撮る、で、M型ライカなどのレンジファインダーカメラは"Shoot"の方の写真を撮る、なんですよ。」

と。

だから一眼レフを使っていた人がライカを使うとびっくりするくらい最初は下手になる、と。
それは本質が根本から違うからだ、と。

萩庭さんが仰る”本質”は、
先ほどのTakeとShootの認知言語学の側面からの紐解いた違いの部分だと思われます。

「取り込む」と「放つ」では違いますね。


ご存じない方もいらっしゃるかと思いますので、
一眼レフカメラレンジファインダーカメラの違いについて少し解説しますと、
一眼レフは、レンズを経由(反射)して撮れる画がファインダーに写る機構をしています。こういうの。



一方レンジファインダーは、
素通しのガラスのファインダー(↓写真右上の窓)なので、
レンズを経由して撮れる写真が写っているわけではありません。
写ルンですのファインダーみたいなものを想像してください。
こういうの。




そこから考えました。

一眼レフは、
「今ファインダーから(光を経由して)見えている"この画"を取り込む(自分のものにする)んだ!」
という動機でシャッターを切ります。
意識はしていないにしろ、きっとそのはずです。
この画を!と目的語がありますね。だからTakeです。

一方レンジファインダーは、
ファインダーから見えているものは実際に撮れる画とは関係ないので、
「今か?」と思いながら大雑把にシャッターを切ります。
大雑把に切ることもできれば、熟練のハンターのように
「今だ!」と繊細にシャッターを切ることもできるのでしょう。

しかし、こちらには目的語がないのです。
どちらも被写体等の対象物はあれど、
一眼レフのような「この画を!」という目的語、動機が、
レンジファインダーの機構だと現れないんです。

目的語が現れないまま撮るので、取り込むというTakeという言葉は、使えない。
だからTakeではなく、放つ方のShootであると。





結局ライカ勧めたいだけかよ。



違います。
TakeとShootの違いを伝えるために引き合いに出しただけです。

レンジファインダーで撮るのだと全然上手く撮れないな…なんでや?
と思った認知言語学に知見のある先人がこの思考にたどり着いて、

決定的な違いであることを、
Take a phtoとPhoto shootingというそれぞれの言葉で分けたのでしょう。

機構の違い→体験の違いが、動詞を変えたのだと思います。

実際、私もライカを初めて使った時は
びっくりするくらい下手で落ち込みました。
めっちゃ下手やん…マジかよ…って。
今も別にそこまでうまくはないですが。
レンジファインダーという機構がそもそも大雑把にしか確認できない機構なのだから、
仕方ないのかもしれないですね。緻密に計算することは難しい。
難しいというか、現実的じゃないです。


でも、ライカを使うとき、
どちらかというと気分はハンターなんですよね。スナイパーかな。
もっと立派なハンターになれるように、自己分析を深めて、
見極める力を付けていかなければ、
良い写真は撮れないんだろうなと思います。
じっくりとした自己研鑽が必要なのだろうなと、
またライカに一つ教えられた気分です。

イカ、もといレンジファインダーのカメラはそういうカメラです。

まとめ



お疲れ様でした。
マジ、潜り疲れたぜ…
俺は…楽しかったぜ…

いかがでしたでしょうか。

言葉の側面、というか主に認知言語学的側面から
「写真を撮る」について考えていきました。

この記事の長さから考えてもらえれば分かると思うのですが、
終始ノリノリで書いていました。

楽しんでもらえたなら幸いです。

私はライカ使いだけど、
”自分で選んだ画を抱きかかえるように取り込む”方の"写真を撮る"も好きです。

Shootの方の「写真を撮る」について興味があったら、
イカ、おすすめですよ。


ってかさ、


こういうことを紐解いて授業してくれる英語の先生とかいたら
学校の授業ってマジで面白いのにな!!!!!!!!!!!!!

勉強って、(深すぎて)面白いんだぜ!!!!!!!!!!!!!!!




以上だ!!!
最後まで飛ばさずに読んでくれた奴!愛してるぜ!!!