歓喜天倶楽部

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日本一多趣味のテキストライター篠野が魅せる。日本一多趣味なブログ。

写真との距離。



私は普段、ライカのM-P TYP240というカメラを使って写真を撮っています。
これです。




テープでぐるぐる巻きにしたライカ

私だけのライカ

でもね、

はぁ…言うか…


普段、写真全然撮らないんですよ。

というか、撮らなくなったんです。



だって、フルマニュアルカメラって、
スポーツなんだもの。

という話はここから。

kan-ghi-ten.hatenablog.com




今日の議題なんだけど、

イカを使うようになったことで、
写真との距離が、一定になりました。

って話です。


kan-ghi-ten.hatenablog.com




ほとんど話していたわ…


写真を撮らないくせに、断っておくけども、

私がライカを持たずに家の外に出ることはありません。


撮らないくせにね。
でも、これには理由があるんですよ。

その理由っていうのは、これです。

カメラを持っていることで日常がシーンになるから

です。



どういうことかと言うと、そういう事なんです。

個人的にはスマートフォンからでは得られなかった感覚です。

今って、いつでも写真を撮れる時代なわけだけど、

言い換えましょう。
滅茶苦茶大事なことを言いますね。


今って、いつでも写真”も”撮れる時代なんですよ。


写真も撮れるスマートフォンでは、得られない感覚です。
で、このライカが、ひいてはカメラが私に与えた
「日常がシーンになる」
という感覚は、
写真しか撮れない事がくれた価値の一つなわけです。


この、「いつでもこの私が見ている景色(シーン)を写真で残せるぞ」
という意識が、
カメラを持つことで常に付きまとってくれるんです。

なぜか、スマホじゃ、付きまとわないんですよ。
なぜかって、写真を撮るための機械じゃないからだよね。自明の理。


で、付きまとってくれることが重要なんじゃなくて、
それよりも、
付きまとってくれているおかげで、
日常の見方が変わることが、

マジで尊くて、私にとってはマジで重要なんですよ。

だから、私は写真をバシャバシャ撮らずとも、
イカ(カメラ)を持ち歩くんです。

これって、実はライカじゃなくても、
もっと言えば、フィルムカメラでも、
デジカメでも、写ルンですでも良いわけで。

カメラのもたらす価値の本質の一つなのかもしれないなと、
思ったんです。

だから、「全然撮らないじゃん!」と言われても、へっちゃらです。
写真を撮るために持ち歩いているのは当然そうなんだけど、
それだけじゃないんですよ。
これが、私と写真との距離だな、と。


そんな話。