歓喜天日記

私の持つ"喜"をここに記します。

ミニマリストが嫌い。



私は、ミニマリストが嫌いだ。

「私、ミニマリストなんです」と豪語する輩はもっと嫌いだ。それが男だろうが、女だろうが関係ない。

それはなぜか。
ミニマリストは、”なぜ世の中がありとあらゆる物で溢れているか”を生きながら証明していないからだ。体現はおろか、考えすらしていないからだ。

確かに、一人ひとりにとって不必要なものというのはあるだろうと思う。男に生理用品は必要ないものだし、私が価値観を理解できない娯楽品は私にとっては必要ない。

「不要なものを捨てれば、余計な考えをしなくて済む。」
きっとそう言うだろう。
しかしそれは、なぜそれが生まれてきたのかを無視している行為だと思うのだ。

すべてのものは、人間でさえも、そうかもしれない。
万物は、それを願った人がいるから、存在するのではないだろうか。

人間が生きているのは、人間が望んだからなのだ。
そのための手段として、歴史を経て願いや祈りが形になり続けてきた結果が世界だと思うのだ。それを噛み締めることが出来たなら、私にとって必要のないものでさえ、簡単に無視はできない筈だ。

無視は遮断であり、遮断は否定と同義なのだ。
人間が生まれてきた理由を、遮断し、無視し、否定することをミニマリストは選択しているのではないだろうか。


「私にとって不要なものは価値がない」
話が通じないとはこのことだ。
話が通じないということは、議論の余地があるという事だ。

通じない話にも、本当に価値はないのだろうか?


「断捨離が趣味なんです」

物事を遮断をする癖がついてしまっている。
自分が振った賽の目しか信用しないのはもはや宗教だ。

お前は賽の目次第で私との関わりも簡単に捨ててしまうのだろう。
だから私はお前が嫌いだ。

私は捨てられるために生まれてきたのではない。