歓喜天日記

私の持つ"喜"をここに記します。

心は壊れてしまうと元に戻らないらしい。


さて、皆様ごきげんよう
篠野ですけど何か?


今日は重たい話のコラムです。
迷ったけど、暗い話だからお昼に投稿することにしました。
きっと希望もあるはず。

誰も、こうなってほしくない。



【注意】この記事には、繊細な内容が多く含まれます。
人によっては心苦しくなったりするかもしれません。
その時は私の表現力が高かった。ってことで。
状況によりますが、今、そういった心が弱っちゃいそうな話を求めていない方は、
また日を改めて、元気な時に来てください。ああでもそれも逆に良くないかも。


あと、話がマジで長くて小難しいので読み飛ばしても、いいよ。
飛ばさずに呼んでくれたら、、、
どうしようかなあ、結婚する?私既婚だけど。
冗談だよ。



二年位前に私が前職で働いていた時。
これを話せるのは、時間がたったおかげ。
俯瞰してその時の自分を見れるようになってきたから、話してみようかな、という話です。


私はとある自動車部品の商社で
海外の得意先相手と納期調整とか生産管理とかしてた。
まあいわゆる、割と人が憧れる仕事内容だったかもしれない。海外商社マンとかね。毎日英語喋ってたし、なんかカッコいいよね。

海外部・拠点統括課という部署にいました。
(日本一カッコいいやん)

ある日客先が、コロナが流行って、「在庫減らすから、来月からしばらく買わないよ」って言ってきた。

私の仕事は、それに合わせて生産の調整をしないといけないんだけど、
自動車の部品って、鉄の材料から出来てて、
もっと言うと鉄くず(スクラップ)が炉で溶かされるところから始まってるってわけ。
どんな仕事でも同じことが言えると思うんだけど、間に会社が入るたびに、納期ってのはどんどん延びていくし、どんどん調整しずらくなっていくのよ。

例えば、イメージしてほしいんだけど。
客に売る、下請けメーカーから買って送るタイプの、
「A」という部品があるとしましょう。
それが使われる車が完成するまでをざっくりと逆算すると、

第一に、トヨタなど、完成車を最終的に組み立てる工場がある。

第二に、その一つ前の組付け工程を担う工場がある。
(例えばアイシンとか有名だよね)

第三に、さらに前に組付けや生産を行う工場がある。
(ちなみに私はここにいたし、山のように会社ある)

第四に、さらに下請けの工場がある。
(町工場だったり様々だし山のようにあるし、製品によっては私がこの階層の時もある)

第五に、伸線メーカーってのがある。
(何kmもある鉄の材料を巻いてくれるところ)

第六に、鉄鋼メーカーってのがあるわけ。
(炉で鉄くずを溶かして、鉄パイプにしてくれるところ)

本当にざっくりだけど、こういう構図で自動車のものづくりってのは成り立っているわけ。一次メーカーはTear1とか呼ばれます。有名かな。

第五、第六の伸線メーカー、鉄鋼メーカーってのは馬鹿みたいに規模がデカいので社数としてはそんなにないんだけど、要は第四階層の山のような会社がみんな鉄屋さんから鉄を買ってるっていう構図。
鉄鋼メーカーまでとなると、大同特殊鋼業とか日本特殊陶業とか、あなたの街の海のほうにあるバカでかい敷地の工場がそれだったりする。しかも第三、四と、伸線メーカーの間には何段階も改装があったりする。

とにかく、自動車のものづくりはこういうピラミッドで成り立っている、と。
まあさすがにどんなものづくりも同じだと思いますけど。

あー、こういう「仕事」とか人の「願い」とかそういうのに序列をつけるのって本当にダサいから序列なんてねえよと言いたいんだけど、現実はそうはいかないんだなあと人間味を感じます。



大丈夫?ついてこれているかな?ごめんけどこれまだまだ本題じゃないんよ。



んでまあ、これだけ、何千何万の会社があいだに関わっているのね。
さらに、それぞれの会社に「工数」ってのがあって。工数ってのは、簡単に言えば、”かかる時間”ね。
んでそれぞれの会社が余裕を持たせるために時間を多めに見積もるじゃんね。これ社会人の基本。

そうなると、どうなると思いますか?

鉄くずが形になってトヨタに届くまでに平気で二年三年ってかかるのよ。

それをトヨタはわかっているから、年間の車の生産台数を決めてくれる。それに合わせて我々が逆算しながら動く、という流れ。



ここまでOK?大丈夫?寝てない?

いいね。じゃあ続き。




ここでさっきのことを思い出してほしいんだけど、

「在庫減らすから、来月からしばらく買わないよ」って言われたこと。
詳細を聞くとね、「トヨタが稼働日数を減らすから生産台数が減る」んだって。

部品Aはその車一台に200個使われているのに、と。

つまりどういう意味か想像できますか?

月に200台生産していた車が仮に50台に減産すると、
月に40,000個必要だった部品Aが30,000個要らなくなるんですよ。
しかも部品Aを作るのに3年前から取り掛かっているから、
月40,000個×12カ月×3年で1,440,000個の部品Aが動いてて、これが売れる見通しが立たなくなる。というわけ。144万個よ。
売れない在庫がとんでもない量、積みあがっちゃうってことなんですよ。
個数だとわかりづらいからお金に換算しよう。
一個100円で売れるものだったら1億4千4百万の在庫です。減産したら何年で売れるんだよっていう額。
まあそのうち10,000個売れるから1億の損失で済むんだけどね。

しかも鉄だから錆びて使えなくなっちゃう可能性だってあるわけ。だから在庫は悪なのよ。 だから、トヨタは「かんばん方式」ってのを採用しているんだけどね。

mba.globis.ac.jp



さらにこれが部品Aだけじゃなくて、ほとんどの部品で発生するわけ。鉄の材料で言うと何百トン。製品で言うと何千万個。

生産台数が減ることって恐ろしいことなのよ。
それが分かってもらえればOKかな。

で、「そりゃあヤバいな」と阻止しなきゃいけないわけですよ。失敗したらあと40年無給じゃん、という気持ちになるわけ。それはないんだけどね。

私はメーカーさんや工場に言うわけです。
「今すぐ止めて」と。

効果があると思いますか?ないですよね。だって144万個もあるんだもの。
それは私もよくわかってた。
けど止めなきゃいけないわけ。
じゃあ何するかって。仕事だからね、何かしなくちゃ。
ひたすら止めるための電話やメールをしまくるわけよ。

下請けのメーカーさんたちには「本当にごめんね」って謝って、得意先には「なんとか買ってもらえないか」って頼む仕事。まあこれが商社の仕事ってやつだね。

でもね、うちの場合、絶対に”注文キャンセル”は出来ないのよ。
なぜかと言うと、下請け業者の従業員の生活を守ろうぜっていう法律で、「下請法」ってのがあるの。

下請け法の中には、買うって言ったものを「やっぱナシ!キャンセル!」は、従業員が生活できなくなっちゃうから駄目だよ!という条例があります。

そこには親会社と下請会社って分類がされて、適用される方の内容が違うのよ。
じゃあ何をもって下請けなのかってところになると、その会社の資本金。

うちは資本金はあったから、親会社ってのに分類されて、周りの会社はみんな「下請会社」に分類されてたと。
ちなみに下請会社の(資本金がうちより少ない)お客さんもあったから、お客はキャンセルできるんですよ。ウチが親だから。そういう事例もあったね。

親企業が下請け企業にキャンセルしちゃだめだよ!っていう法律のせいで、下請け企業から「無理だろ買え」って言われたら買わなきゃいけない。違法になるからね。

当たり前だけどさ、下請け会社は法律で守られているからさ、そこであぐらをかくわけよ。「ほれほれ買うしかないんだから買えよ~~??」って。本当はそんな関係性じゃないんだけど、当事者からしたら、法の上であぐらをかいているように感じちゃいますよね。

んでまあそんな鬼のような「生産減」の状況が半年くらい続いたかな。
止めきれない在庫が積みあがってたなあ。


するとね、ある日またトヨタが言うのよ。

「需要戻ってきたから来月から生産数挽回するわ」って。



どうなるかわかりますかね。




最初はいいけどね。止めきれなかった在庫が一部あるから。
でもね、三年かけて作るものなんだから、そのうち足りなくなるんですよ。
材料止めて生産も止めてるんですよ。
じゃあこの挽回の発生を見越して、減っても生産を止めないのが最適解だったのでは?というと、結論そうでもないっていうね。奥が深いのかね。もうよくわかんないや。

私は生産を増やすように、材料発注を追加するように頼むわけ。
そりゃあもう、大量に。半導体が足りないのって、こういうことだよ。自動車業界がこういう事をやったから足りなくなったと言われているよ。キャパオーバーという奴。

すると下請け業者が言うのよ。

「できないに決まってるじゃん。やっぱ買わないって言ったものをやっぱ買うなんて都合よすぎるんじゃない?」って。

んで、日本人の得意技ですよ。

「そこをなんとか」って。

不可能なのがわかっているとね、
「そこをなんとか」としか頼めなくなるんだなって、思ったよ。


そのうち、目に見えて在庫が追加注文でガリガリ削られて、注文に対応しきれなくなってきて。


次第にお客さんが言うのよ。


「生産ライン止まるぞ」って。

トヨタが1秒ライン止まったら損害いくらになるのかわかってんのか、お前それ払えんのか?」って。



つらい気持ちになりますよね。そんなこと言われたら。
まあ、そんなの払えってトヨタは言ってないんだけどさ。そういう誓約書を書かされたとかもないし。トヨタが言うにはサプライチェーンは家族(笑)だから。

そんなこと一言も言ってないのに、みんな仕事を成し遂げるカードとして「ライン止まるぞ」を振りかざすのよ。

多分トヨタとかスズキが切羽詰まってきたときに、
「このままじゃラインが止まっちゃうんですよ~助けてよ~」って言ったのを
日本中が武器として持つようになったのよ。
家族同士で脅し合うんですよ。自動車業界は。

そんなに怒鳴られたら、参るよね。心無いんか?って。
その武器マジでクソダセエから仕舞えよ。臭いわもう。

でも、無い袖は振れないのね。
返り討ちにする武器って、「現実を突きつける」しかないのね。
それって通用しないのよ。仕事だから。
だからどうにかしないといけない。
じゃあどうするか。何ができるか。


下請け企業に同じことを言うしかないんですよ。



「生産ライン止まるんだぞ」って。

トヨタが1秒ライン止まったら損害いくらになるのかわかってんのか、お前それ払えんのか?」って。



しかも世の中はコロナ真っ最中で、日本中が増産して貨物船のコンテナはパンパンで予約取れないし、ロサンゼルスの港がコロナで閉鎖して荷物が海の上で何週間も陸に上がらないし、船が駄目なら飛行機だ!って飛行機も予約パンパンだし。それに乗じて輸送費は何倍にも吊り上げられるし。客からは「今すぐ寄越せ」と言われるし。いや今すぐって。アメリカに届ける方法がねえよ。そうすると世界中で部品が足りなくなってきて、客は安心するために在庫を作ろうとして追加注文をさらにしてくる。生産可能なキャパの最大はすでに超えているのに、「そんなの知るか、何とかしろ」で注文増やすんですよ。コンテナ船の荷物は更にパンパンになるわけ。載せきれないコンテナが何千本も港に置き去りになるわ、スエズ運河にコンテナ船が座礁して大渋滞になるわ、しまいにゃアメリカの方では転覆して海の底にコンテナが何百本も沈むわ。

対応に追われるよそりゃ。てんやわんやの権化ですよ私は。毎朝6時半から夜中1時くらい?まで働いてたかな。言いたくもない嫌味を下請け業者に言ったり怒鳴ったり、客には謝ったり港まで荷物を運びにいったり。海外相手の管理系担当私一人だったので。(笑)

そんなこんなを半年くらい続けていると、だんだん時間の感覚が分からなくなってきて、会話の内容を覚えていられなくなってきたのよ。残業代がどうとか、そういうの考えてる余裕ってないのよ。片隅にもないのね。

多分私のターニングポイント(悪い意味で)は、
言いたくもない「脅し」を自分が言わなきゃいけなくなって、
「これお客さんも言いたくないんだろうな」って気づいたこと。

じゃあ何?この仕事って何?私は何のために働いているの?誰かの祈りを叶えるために誰かの尊厳が傷つけられちゃうんだ。客に傷つけられたから周りを傷つけてもいいの?私がここで一日の三分の二も働いている意味って周りを傷つけるため?この社会って何?人を傷つけるためにあるの?人を傷つける為に何億円も動くの?私が一生かけても稼げない額を私は振りかざして人を殴るの?これが仕事なの?これが社会なの?みんな気づかないふりしてるだけでこれが本当の社会の姿なの?ああまた今日も怒られて怒鳴らなきゃいけないんだ。割り切って仕事できるかな。ああまた今日も怒られて怒鳴らなきゃいけないんだ。ああまた今日も怒られて怒鳴らなきゃいけないんだ。コイツ〇したら納期一日遅くなるのかな。ああまた今日も怒られて怒鳴らなきゃいけないんだ。ああまた今日も怒られて怒鳴らなきゃいけないんだ。





そのうち、
だんだんと車の運転が荒くなってきました。
食事の味がぼんやりとしてきました。
そのうち、朝、起きれなくなりました。
金縛りみたいに動かなくなりました。
部屋は散らかり切っていました。
会社に休む連絡をしました。
少し楽になりました。
なんで休んで楽になったんだろうと考えました。
何が嫌なのだろう。
そこからは堂々巡りです。
ずっと堂々巡りです。


ベランダを見ました。
4階でした。
「4階じゃ、ひどい骨折かもな」と思いました。
飛び降りをすると着地するまでに気を失うらしいことを思い出しました。
明日も明後日もこの先何年も死ぬまで、この思考に囚われて生きていかなきゃいけないのかと思いました。
これは呪いなんじゃないかと思いました。
罰なんじゃないかと思いました。
「こんなこと言いたくないのに」という自分の気持ちに背いてきた罰なのだと思いました。気性が荒くなったりヤケクソになったりして、自分の本心で脅している自覚さえ芽生えてきていました。

もしかして自分、このまま考え続けたら死ぬんじゃないか、と怖くなりました。

カーテンを閉め切って、遠方に住む実家に連絡しました。
ひとり、友達に連絡しました。

親が心配してきてくれました。
家族は、弟を私の家に一晩置いていきました。
顔が土色になっていて、目が据わっていた感じらしい。

親に言われて病院を探させられました。
たまたま次の日、予約が取れました。
弟が実家に帰りました。
同日、友達が来てくれました。
温泉に連れて行ってくれました。
いろいろ話をしました、があまり覚えていません。
多分、世の中にはいろんな生き方があるんだよって話を聞いたり離したりしたんだと思う。
ただひたすらに、こういう時間を作ってくれたことに感謝しました。
夜が更けてきて、友達が帰りました。
一人になるのがとても嫌でした。
一人で夜を越すのが震えるほど怖かった。
今日死んじゃうんじゃないかと不安でした。
日々、なんとなく死にたいな~と思っていたはずなのに、
死ぬかもしれない、死にたくない、と怖くなりました。

結局、ヒトリノ夜になりました。
(突如現れたポルノグラフィティ

なんとか、朝を迎えました。
人生で一番恐ろしい8時間でした。
昨日銭湯に連れて行ってくれた友達が来てくれました。
予約した病院まで送ってくれました。
車の運転、信号とか判断できないと危ないからね。



皆様、お察しのとおり、「鬱病」と診断されました。
通常の脳の働きで分泌される、幸福を感じる物質(セトロニンだったかな?)が分泌されにくい状態になってるからとか言われて、
その分泌を促す薬を処方されました。

抗うつ薬睡眠導入剤を飲んで、寝ました。
翌朝、すっと起きました。
体が軽くて、
心臓から血液が流れて行く感覚があって、
脳がじわっと震えて、
朝日が綺麗で、勝手に泣きました。

プラシーボ効果かもしれないけど、
それでも、確かにその瞬間は人生で一番幸せだとすら思いました。

鬱になりましたと会社に報告をしてからは、上司も寄り添ってくれて、仕事を少しずつ取り戻していきました。

たまに会社に行きました。
適応障害じゃないから、その辺は大丈夫だったっぽい。


周りの人が心配してくれました。
声をかけてくれました。
仕事中一人でブツブツ言ってて怖かったとか、
パソコンの画面の奥を見てたよとか言ってました。
そんな自覚はありませんでした。
心配したんだよと言われました。
他人事のようでした。

L'Arc~en~Cielが好きな年の離れた先輩がいました。
その人も軽い鬱を患ったことは、会社中の誰もが知っていました。
そのときは、申し訳ないけど私も他人事でした。

その人が、会うや否や、真正面から抱きしめてくれました。

私は会社でめそめそと泣きました。


で、数カ月かけて普通に出社できるようになりました。
適応障害じゃないからね。

とまあこんな具合に、少しずつ快方に向かって行きました。

で、それなりに生活ができるようになって、気付きました。




「あ、別にこれ鬱病じゃなくても辛いぞ」と。





私は思いました。
私は、私の思考から私が離れられないことに嫌気がさしていて、
それから少しでも楽になるために薬に頼った節が少なくともあったと思うんだけど、
私の思考は一切離れることをしないじゃないか、嫌な思考回路のままじゃないか、と。
酒を浴びるように飲む人の気持ちが、良く分かりました。そりゃ依存もするよ。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…POISON…


私は自分の地獄を自分の思考回路が生み出しているんだと、鬱病の診断を通じてそれを再認識しました。

まあずっと前から分かっていたことだけどね。改めて認識したのよ。

しかもね、病院に行って、診断されたっていう事実が何か後押しして、心のしんどさが診断前よりも確実にデカくなっているのよ。

例えるなら診断前は灰色の煙だったけど、診断されてからは黒い塊になったような。

そこでやっぱり思ったね。痛感した。

ああ、心は壊れてしまうと元には戻らないんだ。って。

どうやら、決定的に壊れちゃったっぽい。



自分が雑に自分を扱ったせいで、すでに何箇所か壊れていたのが、ついにこの間の出来事で右足が折れて立てなくなっちゃったんだ。
応急処置的に接着剤でくっつけたから何とか立つけどグラグラするなあ。みたいな感じでしょうか。
着すぎて生地が薄くなっていた洋服に遂に穴が開いちゃった、みたいな。

でもこの原因は”ずっと着てたから”なんですよね。脱げないし。


伝わりますでしょうか。


結局その時期に、現状から脱却したかったのと、自動車業界の仕組みに嫌気が差して「もう見たくない」と思ったこと、あと今の仕事に夢がないという理由で、エンジニアに転職して、創造性を刺激されて最高に楽しい仕事だ!と思ってるんだけど。(今のところはね)

仕事は楽しいけど、やっぱりドデカい不安は、たまにのしかかってくるんですよ。
やっぱり適応障害じゃないから、原因から離れるだけじゃ解決しないのよ。原因は私が私であるがゆえに存在するんです。
私の地獄は私が生きている限り続くんですよね。やっぱり。私は私から逃れられないから。

でもね、動けなくなって、診断されて、たかが朝日や花を見ただけで泣いて、楽になったけど不安が真っ黒にデカくなって、地獄はここにあるんだと思って、考えたのよ。

「まあいいや、この地獄も飼い慣らしちゃおう」って。

診断前と診断後の私



診断される前と後で、自分の意識として変わったことがあります。

まずは、「多分前よりも本質的に優しくなったんじゃない?」ということ。
朝日が綺麗で優しさを感じた気になって泣いちゃったこと、ずっと忘れないもん。「もっと優しくなりたい」って毎秒思ってる。

そして、「幸福を探すようになった」ということ。
なんていうか、自分本意かもしれないんだけど、幸福を体感する回数を増やしていかないと、忘れた時に暗い気持ちになってしまうと思ってから、自主的に小さいことでも幸せを探すようになったんじゃないかなあと思います。
例えば今日はいつもよりも信号に捕まらなかったとか。例えば今日面白いこと言えたとか。例えばこの人をどう褒めて喜ばせよう、とか。そういうことを考えるようになった。あの、「脳みそが幸福に震えてじわっとする感覚」をずっと探してる。薬以外でね。

鬱病と診断されて良かったです!なんて絶対に言いたくないんだけど、
気を病んで動けなくなって友達や家族に助けてもらって薬を飲んで心地よくて泣いたことを経て今があるなら、それをひっくるめて優しく愛してあげたいな、と思えるようになりました。

私が伝えたいこと


見たくないものは見ないでいいです。
やっぱりまあ、これを忘れないことなんじゃないかな、と思いました。
そんな甘いこと言ってられないよ!という気持ちもわかりますが、これはただの「選択」なんだと思ってください。
選択肢として常にあなたが持つべきカードなんですよ。
麻痺する前に選択してください。
毎日、毎時、毎分、毎秒、選んでください。

あなたは悪くないから、自分で死んではいけない
自殺をするの生き物は人間だけじゃないです。
特別視はしない。人間性の限界とか言ってると他の動物に笑われちゃうよ。
犬だって、イルカだって、鬱になって自殺をするらしいです。
でも、その、自殺する、ってあなたは悪くないんじゃないの?と思います。
なんであなたが悪くないのに死ぬの?ということ。
誰の思考にもその人にしかわからない地獄があって、
その地獄は誰のものでもない、ということ。
で、その地獄を持つに至った理由って、社会で生きている限り外的要因でしかないんじゃないの?というのが私の「あなたは悪くない」という理論です。

「思考をしたのは自分なんだから自分が悪だろ」という考えもわかりますが、
少し違う気がします。その思考のきっかけは外的なものなんじゃないの?という元を辿る動きをしている感じですかね。

今日、この辛かった時期の話を書いていたら、瞬きの回数が減ったのか目が乾いて、口が渇いて思考が一点に集中して呼吸が浅くなっていました。とても良くない。

例えばこの記事を否定ベースで討論してこようとする人は、「ああそういうスタンスで読んでくれたんだな」と思うこととしますが、私は反応や対抗をしません。見たくないものはできるだけ見ないようにしたいので。苦しかったのも泣いたのも私の中では真実なので私の真実を他人に否定されることはあり得ませんので、そのような意見は見つけ次第機械的に直ぐ見れないようにします。

いかがでしたでしょうか

終始、暗い話ですみませんでした。

心が辛い人、怒りたい気持ちは十分わかる。
あんただけ地獄の番人ぶってんじゃねえよ。って。
あと繊細な話をネタにすんなよ、ってのもわかります。
私が話したかったのは、

抗うつ剤を飲んだ翌朝の美しさに泣いたよ。ってことと、
人には感謝しなきゃいけないってことと、
あなたの地獄はどんな地獄?否定しないからお酒でも飲みながらいつか教えて欲しいな!
ってことです。
教えてくれたら話広げるからさ。
それはもう、どこまでもポップに。

持つべきものは友、って人生で初めて痛感したのよ。

絶対辛いことあると思うけど、今日も生きててえらいよ。

君の地獄はわからないけど、いつかそれごと愛してやれるようになるといいよね。


まあでも、あの時期は記憶が曖昧になるくらい辛かったし、
下手すれば五体満足で生きてないかもしれないし。
体験は絶対にしない方がいいよ。
どうか私みたいにならずに。
なっても、絶対に早まらないように!
朝、起きれなくなる前に気付けたらいいのに!
その時は必ず誰かに連絡をしてね!
誰も知り合いが居ないしホットラインが恥ずかしいなら私でもいいよ!
私は当事者になったので、他人事にはしないよ!


あと心療内科行ったら100%鬱ですって診断されちゃうと思います。商売だからね。
診断書カードを持って会社と法律デュエルする人ならいいかもしれないけど、
その思考に支配されてはいけないので、自分でしっかり注意して離れた目線になれるだけの意思は必要ですよ。気をつけてね。
場合によっちゃ誰でも入院してキチ◯イ判定されて手足を拘束されちゃう、なんてこともあるかもしれないからね。
まともな人間でも手足縛られたら気が狂っちゃうよね、、、。



論点まとまっていない感が強いし、結論も上手くまとまらないし、終始殴り書いちゃったんだけど、どうでしょうか。少しでも伝わったでしょうか。

こんな記事を書いてしまって、
誰かが傷ついていないことをただ願っています。


でも、書きたかったのよ。ごめんね。


疲れてしまいました!

皆様ご自愛をどうか忘れずに、自分のペースで生きていこうね〜。


いつも心に太陽を
(懐かし良ゲー”ボクらの太陽”より)


おしま〜い。