刺激が欲しいとはよく言ったものだ。
例に漏れず私も、刺激が欲しい人間の一人だろう。
実際、このブログを書くことだって私の少しの刺激にでもなればという思いが少なからずある。結果的に、思考のアウトプットとして佇んでいるこのブログという容れ物は、私の大好きなキーボードでパタパタと、思考をつらつらと並べるにはとても好都合。記事のストックが増えていくので毎日ブログ投稿すればいいかという考えの元、結局2カ月近く継続出来てしまっているし、日が経つにつれてストックが減って何も思いつかね~!と葛藤すること自体は私の生活の中でちょっとした刺激になっている。
しかしながら、私たちが体感する刺激というのは、些か持続性に欠ける。慢性的に受け続けられる刺激はないものか。刺激というか、スリルみたいなものかもしれない。
もはや、こと私に関して言えば、自転車通勤中に車にはねられそうになることも多々あるんだけど、もう車にはねられそう!あぶね!くらいじゃ刺激にはならないのである。あ~まただ危な~くらい。危ないのは危ないんだけど。
新しい刺激を探さないと、右脳か左脳かわかんないけど、使わない部分って退化していくじゃんね。その危機感が生きていく上でずっと、ちょっとだけある。そういう自覚なんですが、みんなにはある?最たる例が車にはねられそうになってもケロっとしちゃう精神ってところだと思うんだよね。轢かれたらそれはそれで刺激になりそうとさえ。
なんていうかもうこれは呪いみたいなもので、
刺激をくれ~って何に対しても刺激的かどうかの判断基準しか持てないような感じ。
これって多分呪われているよ。
You are my dancing queen~
You are my dancing queen~
あっ!ABBAがズレてる!!
ア〇ズレだ~!!!
って具合に、貞操観念が崩壊した人種って
もしかすると刺激欲しさで体と脳みそのネジがバカになっちゃったんじゃないのって思った。もうドライバーじゃ締まりも緩みもしないことに辟易してるんじゃないの?という説。人種が違うから私にはわからないけど。ABBAをずらして流すのは大学時代に先輩がやってたギャグ。そういうちっちゃい場面に限ってずっと覚えてる。
なんか刺激無いかな~って、味のしなくなったガム、ずっと噛んでるの。じゃあ刺激を外界に求めたとしてそうやってまた新しいガムを噛むのか。私は、なんていうかガムじゃなくてもっと内面的な刺激になる部分を自発的に噛みたいわけよ。外傷なしで。あと外道には成りたくないのよ。そのままの私がいい。なんかありますか。全然わかんないから私はみんなと同じように外界に求めちゃう。今思ってるのはサバゲ―とかかな。あわよくば無料がいいな。果たして私はもしかして、悪い事をしたいのでしょうか。よくわかりませんし、この精神性って全員が孕んでるよね。私は五つ子。犯罪はしません。愚かにはならないようにと。
とまあ着地点も見つからずに空中にふわふわと浮いてた内容であることは否めないんだけど、育ってきた環境が違うからね。私は私の人生の上で育ってきたわけ。
刺激に敏感になっていきたいよね。
もう少しハラハラしてみたいな、という願望でした。
平和なのは良いことだけど。平和は脳を腐らせるよ。
おしまい。